ご存知浅草「雷門」 撮:2019.8
8月18日 日曜日
折角、生きてるんだから
一 番 だ
勝俣部長・・・・8月13日〜14日に掛けて、山梨県都留市に墓参りをした。
(施餓鬼会出席)
その夜は、石和の次姉のところに行き、甥などを交え食事をし、石和に一泊。
翌14日・・・・まあ、生まれ育った地と言える、南巨摩郡富士川町(旧:鰍沢町)に、何年か振りに行って見た。
シャッター通りは更に拍車がかかり・・・・近い内に「限界何々」と呼ばれる日も近いのでは・・・・。
当時(我れ小学生)は、まだまだ町一番の・・・・イヤ県でも1・2の大店(オオダナ)であった、荒物問屋に立ち寄る(奥の離れを借りていた)。
勿論、店はとっくの昔に閉められ、3つあったお蔵は全部消え、住んでいた離れは、
中庭の小池を残し跡形も無し。
懸命に記憶を追う中・・・・店の手伝いを年がら年中していた・・・・小学生のころを思い出す。
竹製の物差し、竹製の釣り具、竹箒、竹製の籠、竹製の雨傘、同じく蛇の目傘(プラスチック公害皆無)、荒縄、養蚕具一式、地下足袋、畳表、畳のヘリ、座敷箒、塵取り、様々な糸類、鎌、和紙、硯に墨、文鎮、大筆小筆・様々な筆、大箱マッチ、小箱マッチ、煙草、キセル、灰皿、足袋、軍手、手拭い、馬の鞍、ローソク、線香、提灯、木製のバケツ、ブリキ製のバケツ、柄杓(ヒシク)、石鹸、包丁、砥石・・・・・・・・思い起こせばキリが無し。
・その殆どが地元(付近)の手作り品で・・・・こさえて居るところに(今流に言えば
メーカー)リヤカー引っ張り買い付けに行く
・一方買い付けた品は店頭に並べる共に、番頭さんの引くリヤカーの後を押し、
一泊二日の行商の旅に出る
(リヤカーは〜後に角ハンドルと呼ばれた三輪車〜2t車〜4t車に)
そんな小学生時代を、夢中で過ごしたのだ。
問題と言うか、肝心要と言うかは・・・・勝君の手伝い方、
・全て自発的
・何をやっても嫌がらない
・寧ろ全部に興味を持つ
・言われる前に 為すべきことを為してしまう
・寧ろ大人達より一手先を読む
今思えば、こましゃくれたガキ、嫌なガキであったに違いない。
ところが今の今・・・・思えばアレは勝君の人生に向かう進学塾・・・・その効果は未だに
持続中・・・・。
して、その効果とは・・・・何をしても苦にならず・・・・むしろ何が起きても楽しさに変換出来る・・・・そんな知恵を授かったのだ。
我が辞書に・・・・無理、大変、嫌、難しいは薄く・・・・「何とか成る」が色濃く棲む。
アレは一等、アレは一番だ・・・・。
つづきます。
同じく水も 一等 一番である