勝俣部長の「ため息」3604回・・・・虜(トリコ)

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         「法華経寺」荒行道場 撮:20201.1


2月15日 月曜日

 

 

折角、生きてるだから

 単 純

 

 勝俣部長・・・・思い振り返り見すれば、かなり単純な面を持つ。

 更に振り返り見すれば、単純に見えるところもあるが・・・・それは高等的複雑さでは

無く、単なる理屈さだと思う。

 その代表選手(作)が・・・・当ブログにも、たまに書くクラッシック音楽である。

 あれは小学生から中学生の頃だった。

 山梨の田舎町「鰍沢(カジカザワ)」・・・・当時の大店(荒物問屋)の裏手に住んでいた。

 レコード音楽が、電蓄に、電蓄がステレオに変わる頃だった。

 大店の2人目の番頭さん・・・・長野県の高遠から来た(既に故人)。

 その番頭さん・・・・食べる物を抑え、飲むものも抑え、やっとこさ、ステレオを手に入れた。

 得意満面・・・・毎夜、毎夜・・・・としぼ(私「敏彦」の呼ばれ方)、コレいいだろう、

いいだろうと・・・・いいだろうの洗礼を・・・・連続する形で受ける事になった。

 残念な事に、関心は全くと言っていいほど無かった。

 、あるとき・・・・世の中に、こんなに美しい音楽が(今で言うと旋律が)あるのだろうかと・・・・単細胞的「(トリコ)」になってしまった。

 後年知ったのであるが・・・・その旋律こそ、

  ・メンデルスゾーン作曲

  ・バイオリン協奏曲

  ・アイザック・スターン演奏

 の・・・・スタートの旋律だった。

 今聞いても美しい。

 この単細胞的単純さが・・・・クラシック音楽「好き人間」に舵を切ってくれた。

 この単細胞的単純さは、他にも波及して・・・・お酒を様々飲み続けて、「八海山」にたどり着いた。

 醤油もそう、めんつゆもそう、絵もそう・・・・美しいと自分で決めたものが、残る。

 仕方が無い・・・・。

 つづきます。

 

 

 水は 宝水 ですね