「法華経寺」荒行道場 撮:20201.1
2月15日 月曜日
折角、生きてるんだから
単 純
勝俣部長・・・・思い振り返り見すれば、かなり単純な面を持つ。
更に振り返り見すれば、非単純に見えるところもあるが・・・・それは高等的複雑さでは
無く、単なる屁理屈さだと思う。
その代表選手(作)が・・・・当ブログにも、たまに書くクラッシック音楽である。
あれは小学生から中学生の頃だった。
山梨の田舎町「鰍沢(カジカザワ)」・・・・当時の大店(荒物問屋)の裏手に住んでいた。
レコード針音楽が、電蓄に、電蓄がステレオに変わる頃だった。
大店の2人目の番頭さん・・・・長野県の高遠から来た(既に故人)。
その番頭さん・・・・食べる物を抑え、飲むものも抑え、やっとこさ、ステレオを手に入れた。
得意満面・・・・毎夜、毎夜・・・・としぼ(私「敏彦」の呼ばれ方)、コレいいだろう、
いいだろうと・・・・いいだろうの洗礼を・・・・連続する形で受ける事になった。
残念な事に、関心は全くと言っていいほど無かった。
が、あるとき・・・・世の中に、こんなに美しい音楽が(今で言うと旋律が)あるのだろうかと・・・・単細胞的「虜(トリコ)」になってしまった。
後年知ったのであるが・・・・その旋律こそ、
・メンデルスゾーン作曲
・バイオリン協奏曲
・アイザック・スターン演奏
の・・・・スタートの旋律だった。
今聞いても美しい。
この単細胞的単純さが・・・・クラシック音楽「好き人間」に舵を切ってくれた。
この単細胞的単純さは、他にも波及して・・・・お酒を様々飲み続けて、「八海山」にたどり着いた。
醤油もそう、めんつゆもそう、絵もそう・・・・美しいと自分で決めたものが、残る。
仕方が無い・・・・。
つづきます。
水は 宝水 ですね