勝俣部長の「ため息」4332回・・・・親子とは

3月1日 水曜日

 

           「猿江恩賜公園」 撮:2023.02

 

 

  折角、生きてるだから

好き勝手に・・・・言うと

 

 色々な事象に、いろいろな喩(タト)え方がある。

 最も身近な問題として・・・・。

 親子とは・・・・だ。

 勝俣部長の定義。

 何があっても、決して忘れる事の出来ない関係(間柄)。

 かく、定義している。

 中・高時代は・・・・既に60年以上も前の事。

 蛍雪(ケイセウ)の友は多数いた。

 当時・・・・この友は、生涯忘れる事は無い(だろう)。

 何人か(も)居た。

 あの鮮烈な思いは、一体、何処に行ったのか ・・・・。

 相手も同じだろう。

 初めて社会人になったとき、同期入社の友が何人かいた。

 猛烈時代、リゲイン時代・・・・戦友だとの、思いまでしていた。

 今、思いは・・・・遥かに遠く消えつつある。

 相手も同じだろう。

 父、母、長姉・・・・他界してから久しい。

 だが忘れる事は無い。

 次姉、弟・・・・別々に住んで久しい。

 だが忘れる事はない。

 例えば親子の縁を切りたい・・・・切る。

 これほど憎みあっても・・・・親子、肉親の情は決して消えない。

 時間が経っても、忘れる事は無い。

 何処の親子でも、どんな関係の親子でも・・・・忘れる事は無い、は、同じだと思う。

 だから親子は・・・・必要以上にベッタリする必要は無い。

 むしろ・・・・サラサラでいい。

 勝俣部長の定義の・・・・(シモ)の句である。

 実際に私は・・・・親子は限りなく他人である。

 同時に・・・・親子は限りなく独立法人ならぬ、独立個人であるべきだ。

 そうして来ている。

 そして間もなく80才・・・・。

 つづきます。

 

 

 本日から 春3月 水 いよいよだね