勝俣部長の「ため息」3208回・・・・岐路

3月30日 月曜日

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                                       高輪「泉岳寺」 撮:2020.3

 

 

 

折角、生きてるだから

もう一方は 難しい

 

 勝俣部長・・・・高校時代、硬式野球に入っていた。

 今と違い山梨県は、どの高校であろうと全国レベルは低位で、私の在籍していた県立吉田高校は、いよいよ低位に居た。

 そんな中、何が印象に残っているかと言うと・・・・野球では無く就職の事である。

 3年生なって間もなく、顧問の先生が埼玉県川口市にある、石油ストーブの会社に

引率して行ってくれた。

 会社名:富士文化工業㈱

 名前は今でも、はっきり覚えている。

 当時、大変脚光を浴びていた会社である。

    「この会社なら 直ぐにでも就職出来る」

    「だから野球に専念出来る」

 今住む「さいたま市(旧:浦和市)」の・・・・隣町である。

 確かこの辺に存在(あ)った筈・・・・時折通る度に、60年も前の事を思い出す。

 跡形も無い・・・・顧問の先生もいない。

 もしあのままその会社に入っていたら・・・・今、どうしていただろう・・・・。

 もう一方の自分を想像する事は・・・・トンデモナク難しい。

 多分、多くの人が、それぞれに人生の岐路を持つだろう・・・・。

 何れの方も、確実な予想は難しい筈・・・・。

 懐かしむ事が出来れば・・・・まあ善し人生と、すっか・・・・。

 つづきます。

 

 先の見えない戦いに 水