勝俣部長の「ため息」2926回・・・・死ぬまでである

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                                           行田市忍城」 撮:2019.4

 

 


6月8日 土曜日

   折角、生きてるだから

考えたら・・・・だよな

 

 勝俣部長・・・・いつ頃からかな・・・・よく考えつづけている事がある。

 私、自分、本人を・・・・形作っている(くれる)大元は(基礎は)、物事の全てを、

   「どう考えるか・・・・

であると・・・・。

 余程の偶然でも無い限り・・・・例えば宝くじで3億円が当たるとかなどの偶然・・・・自分の考える以上の、自分にはなれないと・・・・。

 ここが肝心で・・・・つまり自分が「考える以上の自分」には・・・・ここ、ココである。

 その人の、人生の全部が当て嵌まる(そう思う)。

 (滅茶苦茶偶然に恵まれ続ける人を除く)

 還暦を期して勝君が謳った・・・・大袈裟に言えば、老年に向かう我が精神・・・・その

在り様。

  *痛快なる老年(と考えた)・・・・何の事は無い、

   ・僻(ヒガ)まない

   ・妬(ネタ)まない

   ・恨まない

   ・愚痴らない の日々

 たった、こんな事である。

 道路に捨てられる空き缶、空きペットボトルの類い・・・・コレだって、

   「ここに捨てては (己の心が)不味いよな、貧弱だよな」

 そう考えること一つで、その人の行動が決まるもんな・・・・。

 人は、自分が考える以上の自分にはなれない・・・・。

 今までも、これからも・・・・認知症にでもならない限り・・・・死ぬまでである。

 つづきます。

 

 

 本・土曜日 勝君の会社休み ヘヘヘヘ神楽坂で昼間から 水持参します