勝俣部長の「ため息」2263回・・・・水物語

7月3日 月曜日



    好き勝手に 言いたい放題
人によって 凄く違うんだね


 70才台半ばになる勝俣部長。
 蒸気機関車が、順次、電気機関車に切り替わる時代を跨(マタ)いでいる。
 出身地山梨県の一等大きな駅は、「甲府駅」である。
 当時(多分小学時代)、新宿から甲府駅までが電気機関車で、甲府駅から長野県の松本駅までが、蒸気機関車であった。
 母親の実家は長野県の辰野である。
 夏休みにはほぼ毎年、母親に連れられて辰野に向かった。
 その度に甲府駅で、先頭で牽引する駆動車が、電気から蒸気車にバトンタッチされる場面を、必死になって眺めたものである。
 それ以上に蒸気車を、コリャ蒸気車だなと意識させてくれたのは、現在の北杜市(旧「韮崎」付近)辺りに近づくと、幾つかのトンネルを潜る・・・・その時であった。
 夏で、クーラーなどと言う言葉も無かった時代・・・・乗車車両の窓を開けるのが当然であった。
   「敏彦さん(ワタシノナマエ) 窓を閉めましょう 間もなくトンネルですから」
 そう、窓を開けたままトンネルにはいると、石炭を炊く煙と言うか、煤(スス)で、顔が真っ黒になるからであった。
 と言う蒸気機関車の・・・・まあ、言うならば直接体験者の一人である。
 が、今日日の(キョウビ)の機関車マニアと言うのか、撮り鉄と言うのか・・・・彼らのあの熱狂さには、とても、とてもなれない。
 あるいは、何型列車の最終運行です・・・・その度に熱狂する姿を見ていると・・・・人って、人によって凄く違う・・・・・・・ものだと、つくづく実感するのである。
 つづく。



 窓を開け お茶を買う その容器は瀬戸物であった お湯の継ぎ足しもOKであった 水物語である