勝俣部長の「ため息」1243・・・・経営者讃歌 を 労働者が謳う

6月12日 木曜日

                                                  
                                                        (奈良県天理市」)



  好き勝手に 言いたい放題
本当の  ところは


 規模も質も様々に異なるな会社が、ゴマンと存在する。
 多くの人々は、その様々な、何れかの会社で働き、己の一生を全うする。
 国の「監督・監視」機関は(労基署など)、・・・・労働者が「酷い目」にあって無いか、これまた様々な基準(法律)を設け、「監視・監督・指導」する。
 そこには、経営者の方が、「酷い目」にあってないかの視点は微塵も無い。
 一方的に、労働者保護の精神である。
 ブラック企業などと呼ばれ、実際に、労働者を「酷い目」に合わせている企業は、確かに存在するだろう。
 ただ「酷い目」に合わせないためには、原資(お金)が要る。
 原資が不十分な会社は(こっちほ方が数的には圧倒的に多いだろう)、酷い目に合わせたく無いが、傍から見ると、まるで酷い目に合わせているように見えてしまう。
  ・給料は 安い
  ・休暇は 取らせ難い
  ・手当無しの 時間外労働も 已む無し
  ・日祭日の 出勤も常態化
 従業員の誰かが、この酷使状況を、お上に訴えたら、直ちに「その筋」から監督・指導される。
 指導された心優しき経営者は苦悩し、精一杯な心で、これ以上出費したら倒産してしまうだろうの、一線を越える。
 そして、廃業するか倒産する。
 そして、労働者は巷に漂う。
 そして、その事態になって始めて 労働者は あれは酷使では無かったんだ
     自分の等身大の生き方だったのだ と 思う 
 そして、ヤケになって 生活保護を申請する
 なんでもかんでも、労働者保護の視点だけの押し通しが、本当に労働者を救っているのだろうか、・・・・全員が全員、公務員の様な、保護された生き方は出来ないのだ・・・・少しマジメな労働者の一人として、いつもそんな「経営者 讃歌」が口をツク・・・・。
 つづく。



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