勝俣部長の「高尾登山と健康体質作り」675・・・・自慢して いいのだ

9月4日 火曜日

                                      



「大切な事(健康)」は 手遅れになってから 分かる
    敬老の日  って  何だ


 今年も「敬老の日」がやって来る(9月17日)。
 勝俣部長の場合、
  ・休日
  ・住まいの集会所で 敬老に名を借りて
  ・60才以上の登録老人が集まり
  ・昼から一杯ヤル日
の認識くらいしか無い。
 ツラツラ考えるに、「俺は 年金暮らし」だと思っても、「俺は 老人」だ、と思っている人はいないと思う。
 人は自分が老人だとの認識を、どのようにして持つものだろうか。
 どこまで行っても、・・・・いつまで経っても、持たないように思えて仕方が無い。
 敢えて言えば、時と都合と場所により、「老人(権)」を、行使するだけの事ではないのか。
 一定以上の年齢の人が、それ以下の年の人と比べて、俄然多く持つ認識は、・・・・イヤ 正しくは、持たざるを得ない自己発見は、あっちこっちに現れる、体の不具合さ、だけのような気がする。
 自分の「怠け」で、不具合に陥った事態を、・・・・「俺 年(老人)だから」と、年に忌避させてしまう。
 自分の怠けの反省は微塵も持たないから、その回避意識が、いよいよ以て体の、イヤむしろ「」の不具合さを増幅させる。
 てな、ことを考えると、敬老に日は、「健康の反省の日」とした方がいい。
 とかなんとか言っちゃって、・・・・当日、昼から、しこたま酒を飲む自分がいる、・・・・ことを思うと、敬老の日って、いよいよ何だか、分からなくなる。
 そう、誕生祝いとか、父の日プレゼントとは、時たま貰うが、敬老の日に、プレゼント貰ったことは無いぞ。
 これって、多分、自慢していいことであるのだ、・・・・敬老の日のプレゼント「永久不要論者」ここに在り。
 つづく。

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