勝俣部長の「ため息」1015・・・・敬老の日に 寄せて

9月16日 月曜日 敬老の日

                                                  
                                                   (「敬老の日」・・・・勝俣部長 一献どうぞ)


      手遅れになって 健康を知る
 自分の生活 は 自分で 為す精神


 巷間よく聞く言葉に、「いい大人になって」と言う言葉がある。
 いいオッチャンになても、大した事の出来ない人とを、蔑(サゲスンデ)んで言う言葉である。
 敬老の日の対象者は、全てがいいオッチャンである。
 だから「いい大人になって」と、蔑まれては可笑しい。
 特に勝俣部長、・・・・「いい大人になったら」、自分の生活は自分で為す事が、成熟したオッチャンである、・・・・と考える。
 自分の生活、・・・・つまり炊事、掃除、洗濯など、妻がヤルのが当然だ、と思ってる大人を見ると、身振るいするほど嫌な光景に見える。
 明治38年生まれの私の父親は、自分の生活が何も出来ない典型者だった。
 だからこの分野で、私の反面教師になったのだと思う。
 ただ世相的に言えば、父親達の世代は、戦争に駆り出され、命を落とすかも知れない、・・・・こんな場面と対峙していたから、まだ許されもしたろう。
 今、そんな悲惨な精神下の世界に、オッチャン達は誰も居ない。
 にも拘わらず、
  ・お米 一つ炊けず
  ・味噌汁 一杯も作れず
  ・雨が降ろうが 洗濯モノを取り込む 気遣いも無く
 俺は長い間、仕事一途に来たのだ、・・・・そんな事は(自分の生活は)、俺様がスル事では無い、・・・・これほどオゾマシイ、時代の産物は無い・・・・。
 「いい大人になったら」自分の生活は、自分で為す、・・・・目指すは、成熟したオッチャン達であろうぞ、・・・・。
 (敬老の日に寄せて)
 つづく。


 静かに 水を 飲む