5月31日 木曜日
(「単なる水」こそ、永遠なるサプリ)
感じが いい と言う事
一昨日、仕事がらみで、世田谷の「勝光院」と言う、お寺さんに行った。
応対に出て来られたのは、多分、住職の奥さんだ。
会った瞬間、その「感じのよさ」に、震えるモノを覚えた。
爽やかな話し方、物腰の柔らかさ、真っすぐな視線、・・・・境内の静かさに、見事にマッチし、・・・・今、俺、別世界にいる、・・・・そんな思いさえした。
我々は日常、一々口には出さないが、
・感じのいい人
・感じが悪い人
と、初対面のとき、案外区別する節がある。
が、その基準って、一体何だろう。
・応対の態度
・話し方
・目の置き方
・頷(ウナズ)き方
・反応の仕方
様々な「感じ方要因」があろうが、感じのよさを決定付けるのは、なかなか難しい。
ここは一つ逆に考えて、「感じが悪い」方で、「感じのいい」方を、あぶり出した方が早そうである。
・人の話しを真剣に聞かない
・キョロキョロと視線が定まらない
・反応しないか、反応しても「未熟」
・的確な反応が無い
そして最近の、最も感じが悪いのは、人が真剣に話しているとき、
・手を上下左右に動かして操作する携帯と言うのか、アイパッドと言うのか
・その機械に視線を落としたまま、話しをする
輩(ヤカラ)全部が、吐き気がするほど、感じが悪い。
これって、もしかしたら、その種の機械の操作が出来ないもの、僻(ヒガ)み、・・・・。
この僻みも「感じが悪いが」、・・・・まあ、何でもいいから、人と話しをするときは、精一杯、全身を傾けましょうよぜ、・・・・。
だって、感じのよさは、終生の宝物でっせ、・・・・。
つづく。