10月23日 日曜日
(「単なる水」こそ、永遠なるサプリ)
医者には 「適格な話術」 が 求められるぞ
昨日、健康診断に触れていたら、医者の「話し方」と言うか、患者に対する「反応の仕方」について、考えて見たくなった。
我々は病気になると、売薬を飲むか、酷(ヒド)ければ、・・・・あるいは、どうにも心配な症状だと思うと、先ずは病院に行く。
病院に行く事は、医師に診察して貰い、その対応を施して貰うことである。
「やあ 勝俣さん これこれ これで 全く心配ありません」
「ほら この数値をみて下さい 心配ありません」
などと、適格に、明確に、応えてくれると、安心するのであるが、・・・・多くの医者の場合、この部分の具合いが、イマイチ上手くない。
「ええ 勝俣さん 多分 大丈夫だと思うのですが」
と、たったこれだけ言うのに、人の顔を見ずに、下を向いたまま、「口籠(ゴモ)って」しまう医者がいる。
おかしなモノで、医者の話が口籠ると、「おれ 本当は ヤバイ んだ」などと、要らぬ心配をしてしまったりもする。
こんな医者に診察して貰ったら、本当に病気になってしまうのでは無いか、・・・・。
医者になれるくらいだから、親は財力が有り、本人も一通りは頭はいいと思うが、話術の勉強が、全くなされていない、・・・・そう思て仕方が無い。
患者を相手にする医者には、卒業試験の科目に、
・病人の心理学、とか
・患者さんが安心する話し方
など、是非加えて欲しい。
まあ、健康体質を作り上げ、死ぬまで「医者要らずの体質」になれば、そんな心配も不要になるのだから、・・・・そう私が言い続ける、「単なる水」の力を信じ貰いたい、・・・・まさに、単なる水は、「永遠のサプリメント」であるからだ。
その点、坊さんが話下手でも、本人は、既に死んでるから、少しも困らない、・・・・ところがこれが皮肉なもので、どうして坊さんは、「口達者」が多いのだろう。
もっとも彼らは、言うならば「話し方のプロ」であるからだろう、・・・・。
この部分だけ、医者と坊さんと入れ替わったら、いいと思う。
*本日のキーワ−ド:「口下手」な医者だったら、自分の症状を文章に認(シタタ)める事をお勧めする。
箇条書きで結構である。
最後に一言、「まだ 坊さんの厄介にならないよう 懇切丁寧に ご指導下さい」と、書いておこう。
つづく。