7月4日 木曜日
(コレ 東京駅八重洲 デス)
手遅れになって 健康を知る
旨いんじゃない 旨いと思い込もう としているだけ
始めに断っておく。
今から書くことは、コカ・コーラの批判(悪口)ではありません。
勝俣部長、・・・・コカ・コーラとの付き合いは、誰よりも長い。
昭和40年代のコカ・コーラは、日本各地に工場が建設され、まさに「日の出の勢い」だった。
当時、仕事柄(王冠製販会社勤務)、工場を訪ねては、何本も何本もコカ・コーラを飲む事になった(180mlボトル)。
多分平均すると、1日10本以上になっていたと思う。
こんな旨い飲み物があったのか、・・・・感嘆に近い思いを持った。
以来、時間が40年近く流れた今朝、・・・・「ZERO 500ml」なる、ペットボトルのコーラを飲んだ。
(正しくは 戴き物で 飲むチャンスが生まれた)
・この不味さは何だ
・この 後味の悪さは何だ
同じものでありながら、この味覚の違いは、一体、・・・・。
平成元年に王冠会社を辞すとともに、コーラを飲む機会を失した。
さらに「水屋」稼業に専念すると共に、私の舌は、水そのもを懸命に追求し始めた。
その結果、単なる水が私の舌の「不純物(敢えて不純物と言う)」を、物の見事洗い落してくれたのである
・人間本来が備える味覚が、戻ったのだ。
一体、最初は、どうして旨いと思ったのだろうか、・・・・。
ブームとなって躍進するコカ・コーラに対して、
・これは 旨いものなのだ
・旨く無い 訳は無い
と、自分の舌を欺き、その欺きが、次第に欺きでなくなり、本当に旨いモノ、・・・・こんな、味覚洗脳のメカニズムに陥った、・・・・のだと思う。
たまたまコカ・コーラを引き合いに出したが、この味覚洗脳は、相当に注意しなければ、一杯有る。
例えばテレビで、可愛いお姉ちゃんが、
・コレ 凄っく美味しい
・キャー 美味しい
なんての絶叫も、・・・・。
それから、
・あの店の モノだから 旨いに違い無い
など、・・・・実は味覚洗脳剤は、自分自身が持っているかもな、・・・・。
注意だよな、・・・・。
つづく。
やっぱり 単なる水 これ1本