5月15日 日曜日
折角、生きてるんだから
個人事(コジンゴコ)
5月の連休・・・・。
1965年(昭和40年)の8月以来だから・・・・57年振。
半世紀以上も前の思いでの地。
京浜急行線「青物横丁」・・・・思い出の建物を訪ねた。
本日の写真「みずほ銀行」・・・・当時は富士銀行であった。
2階で入社試験が行われた・・・・。
私にとっては、まさに運命の場所。
前年の昭和39年、東京オリンピックが開催され、終わり・・・・勢いの有った日本経済も一休み状態。
そんな中、臨む入社試験、
・5月
当時資本金100億円台の「キリンビール」社に失敗
・6月
10億円台の「樫山オンワード」社に失敗
そして、
・8月も半ば
1億円に水準を落とし・・・・
「日本クラウンコルク」社に決死の覚悟で臨む
時は8月半ば・・・・失敗すればもう後が無い。
文系受験者約80名。
募集予定人員4名。
1次は筆記試験・・・・合格すれば2次の面接試験に。
1次合格者18名に・・・・2~3日後、連絡が届く。
面接官は総務部長ただ1人。
面接官の私への第一声・・・・
「貴方は(勝俣は)、18人中17番目でした」
だから 限りなく不合格に近いと・・・・」
ムッとする勝俣青年・・・・
「18名を合格にしたのですから 優劣を付けるのは納得しかねます」
「18名は同じ水準であるとして 面接を宜しくお願いします」
入社して後日・・・・無礼講なる飲み会で、件(クダン)の総務部長さんが話してくれた。
私を採用したのは・・・・私の次の一声が、決め手になったと言う。
「入社させて貰えば分かりますが 18人の中で
一等の働きをします
採用させて戴ければ証明致しますから 是非採用して見て下さい」
当時の売り上げ20億円に満たなかった・・・・その会社。
現在800億円を目指す・・・・。
瓶栓(ビンセン)、王冠、キャップメーカーとしては、今や世界的な企業に。
その要因は・・・・私の一等の働きに因るモノです。
公約厳守の男・・・・此処に在り。
何処までも、嘘つきにござんまして・・・・sumimasenn。
思い出 でした。
つづきます。
水が美味しい