勝俣部長の「ため息」4045回・・・・一等

5月15日 日曜日

 

          青物横丁駅みずほ銀行」 撮:2022.5

 

 

折角、生きてるだから

 個人事(コジンゴコ)

 

 5月の連休・・・・。

 1965年(昭和40年)の8月以来だから・・・・57年振。

 半世紀以上も前の思いでの

 京浜急行線「青物横丁」・・・・思い出の建物を訪ねた。

 本日の写真「みずほ銀行」・・・・当時は富士銀行であった。

 2階で入社試験が行われた・・・・。

 私にとっては、まさに運命の場所。

 前年の昭和39年、東京オリンピックが開催され、終わり・・・・勢いの有った日本経済も一休み状態。

 そんな中、臨む入社試験、

  ・5月

   当時資本金100億円台の「キリンビール」社に失敗

  ・6月

   10億円台の「樫山オンワード」社に失敗

 そして、

  ・8月も半ば

   1億円に水準を落とし・・・・

   「日本クラウンコルク」社に決死の覚悟で臨む

 時は8月半ば・・・・失敗すればもうが無い。

 文系受験者約80名。

 募集予定人員4名。

 1次は筆記試験・・・・合格すれば2次の面接試験に。

 1次合格者18名に・・・・2~3日後、連絡が届く。

 面接官は総務部長ただ1人。

 面接官の私への第一声・・・・

  「貴方は(勝俣は)、18人中17番目でした」

   だから 限りなく不合格に近いと・・・・」

 ムッとする勝俣青年・・・・

  「18名を合格にしたのですから 優劣を付けるのは納得しかねます」

  「18名は同じ水準であるとして 面接を宜しくお願いします」

 入社して後日・・・・無礼講なる飲み会で、件(クダン)の総務部長さんが話してくれた。

 私を採用したのは・・・・私の次の一声が、決め手になったと言う。

  「入社させて貰えば分かりますが 18人の中で

   一等の働きをします 

   採用させて戴ければ証明致しますから 是非採用して見て下さい」

 当時の売り上げ20億円に満たなかった・・・・その会社。

 現在800億円を目指す・・・・。

 瓶栓(ビンセン)、王冠、キャップメーカーとしては、今や世界的な企業に。

 その要因は・・・・私の一等のきに因るモノです。

 公約厳守の男・・・・此処に在り。

 何処までも、つきにござんまして・・・・sumimasenn。

 思い出 でした。

 つづきます。

 

 

 水が美味しい