勝俣部長の「ため息」3629回・・・・銅鑼(マ)

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      「法華経寺」最寄り駅「京成中山」 このシリーズ「完」


3月12日 金曜日

 

 

折角、生きてるだから

    音 楽

 

 勝俣部長・・・・いつ頃かは明確で無いが、日々は「音楽」の2文字が、藪から棒に

浮かんでしまった。

 小・中学生時代、合唱の時間、先生に、

  「勝俣君 少し声を小さくするか 歌わないくてもいいから」

 こう言われた事が有り、音楽に興味は全く湧かなかった。

 それがいつ頃だろうか・・・・。

 映画とかテレビのドラマ・・・・もし、一切のバック音楽を消してしまったら・・・と。

 「ゴッドファーザー」から音楽を完全に削除したら・・・・もっと古くは「太陽が一杯」からバック音楽を抜いてしまったら・・・・と。

  (例えが古過ぎて伝わるかな・・・・)

 たった的なこの疑問で、音楽の関心度が、別角度(自分が歌わない角度)して、

高まったのである。

 特に朝、毎朝である。

 大袈裟に言えば、自分の1日のドラマが始まる。

 映画にバック音楽が無い・・・・ではドラマが進まない。

 そんなんから一時期・・・・我が朝ドラ(マ)に、モーツァルトの41番や、

ベートーベンの6番を流し続けた。

 それに何かチグハグさを感じ出し・・・・バロックに切り替え、長い時間が流れた。

 それが此処に来て(2~3年前から)、人の声、合唱に・・・・。

 広い教会に静かに響く(様な気持ち)・・・・静かだけれど、めを含めながら(自分で勝手に思うだけ)・・・・高らかに流れる声楽に、猛烈に関心度が高まって来ている。

遂には今週・・・・NHK・FMから流れる響きを次男に伝え・・・・CDが有れば求めて

欲しいと・・・・。

 どうやら中古版なら有るとかで、近日中に届く。

 暫く、我が陳腐な朝ドラは・・・・

 陳腐だけに銅鑼(マ)と心するが、人の声が醸し出す教会音楽に見送られる。

 そして・・・・何れは読経に(声明)包まれる。

 人生は、音楽付きのドラマである(のだ)。

 つづきます。

 

 

 音楽には水 実に相性がいい