3月12日 金曜日
折角、生きてるんだから
音 楽
勝俣部長・・・・いつ頃かは明確で無いが、日々は「音楽」の2文字が、藪から棒に
浮かんでしまった。
小・中学生時代、合唱の時間、先生に、
「勝俣君 少し声を小さくするか 歌わないくてもいいから」
こう言われた事が有り、音楽に興味は全く湧かなかった。
それがいつ頃だろうか・・・・。
映画とかテレビのドラマ・・・・もし、一切のバック音楽を消してしまったら・・・と。
「ゴッドファーザー」から音楽を完全に削除したら・・・・もっと古くは「太陽が一杯」からバック音楽を抜いてしまったら・・・・と。
(例えが古過ぎて伝わるかな・・・・)
たった的なこの疑問で、音楽の関心度が、別角度(自分が歌わない角度)して、
高まったのである。
特に朝、毎朝である。
大袈裟に言えば、自分の1日のドラマが始まる。
映画にバック音楽が無い・・・・ではドラマが進まない。
そんなんから一時期・・・・我が朝ドラ(マ)に、モーツァルトの41番や、
ベートーベンの6番を流し続けた。
それに何かチグハグさを感じ出し・・・・バロックに切り替え、長い時間が流れた。
それが此処に来て(2~3年前から)、人の声、合唱に・・・・。
広い教会に静かに響く(様な気持ち)・・・・静かだけれど、戒めを含めながら(自分で勝手に思うだけ)・・・・高らかに流れる声楽に、猛烈に関心度が高まって来ている。
遂には今週・・・・NHK・FMから流れる響きを次男に伝え・・・・CDが有れば求めて
欲しいと・・・・。
どうやら中古版なら有るとかで、近日中に届く。
暫く、我が陳腐な朝ドラは・・・・
陳腐だけに銅鑼(マ)と心するが、人の声が醸し出す教会音楽に見送られる。
そして・・・・何れは読経に(声明)包まれる。
人生は、音楽付きのドラマである(のだ)。
つづきます。
音楽には水 実に相性がいい