勝俣部長の「ため息」3425回・・・・ノーベル平和賞

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 「桐(イチョウ)一葉 落ちて天下の 秋を知る」 於:上野公園 撮:2020.11


11月25日 水曜日

 

 

折角、生きてるだから

 確かに・・・・

 

 確かに・・・・この言葉、色々な場面で使われる。

 一つに納得(形)がある。

  「おお そう言われれば 確かになあ・・・・」

 例えて言われると、納得度を増す場合が多い。

 少ない、僅か、微量・・・・これを「の涙ほど」と言われると、確かにが、ぴったんこする。

  「俺の小遣い 雀の涙ほど・・・・貰ってる方が涙したい」

 ノーベル平和賞ほどの、見事な例え方である。

 もう一丁、ノーベル平和賞候補。

 良く聞くが・・・・夫婦間がこじれ出した時に使う、

  「砂を噛むような日々」

 まさに、逃げ出したい状態、地獄の状態だよな・・・・。

 更にノーベル平和賞・・・・。

 喘息の苦しさを聞いた事がある。

 とにかく苦しい、狂うほど苦しい、死ぬほど苦しい・・・・こう言われると、その苦しさが、確かに伝わって来る。

 ただ・・・・この方(知り合い)は、こんな例えで、その苦しさを伝えてくれた。

 勝っちゃんな、

  ・100mを全力疾走する

  ・ゴールした途端

  ・極細のストローで呼吸をする

 ほどの苦しさだよ・・・・。

 死ぬ以上の苦しさが、ひしひしと伝わって来る。

 この時以来・・・・物事の事象を様々に例えて見ているが、直接の言葉以上の比喩が、

なかなか生まれない。

 コレも・・・・確かに能力の問題かもなあ・・・・。

 ノーベル平和賞には程遠い。

 つづきます。

 

 澄んだ空 澄んだ水 澄んだ日々