11月10日 日曜日
手遅れになって 健康を知る
マ ツ タ ケ
昭和38年(1963ネン)、・・・・今から、きっかり50年も前の事だから、風化話しもいいところだ。
山梨の片田舎から東京に出て来て、姉の住む小さなアパートに、一時的に同居させて貰った。
4月入学、・・・・学校で最初に知り合ったのは、京都府丹後半島の近く、峰山町出身の、・・・・何事も器用にこなす男だった。
(今でも親交あり)
彼、戦争で父親を亡くし、顔も知らないと言う。
姉と二人して、母親一人に育てられ、晴れて大学に。
その年の今時分(11月)・・・・彼、
「オーイ 勝俣 今日 家に来ねええか 母親が来てるんだ」
と言う事で、ノコノコ着いて行った。
見事なまでの、優しさを備えた母上様が居た。
割烹着を纏い、古びた炭火のコンロで、「マツタケ」を5〜6本焼いている。
頃合いを見て、さあ食べて下さいと、小さく切る事も無く、そのまま出してくれた。
「ええ・・・・地元(峰山)は マツタケの 産地ですから」
続いて出してくれたのが、マツタケの「お吸い物」。
吸い物の中は、マツタケだけ。
どうだろうか、2本分は優に入っている。
余計なモノは一切無し。
全てが50年前の香りである。
さてさて、何処でどうしたことか、・・・・昨日、富山から(我が社社長の母上様)、マツタケがヤマト便で届いた。
≪勝俣君、・・・・独居人(ドッキョ ビト)、・・・・共に喰らう奴は無し≫
ヨッシ、少しずつなんかしないで、往時を真似しよう。
と言う事で、熱燗と共に、調理一番、・・・・マツタケの吸い物を飲むと言うより、50年振りに、食べたのが下の写真。
京都峰山の母上様、・・・・90才はとっくに超えただろうが、健在だと言う。
お陰様で、ここ最近に無く、・・・・味と香りのある、いい秋を迎えた。
つづく。
マツタケの 余韻を持ちながら 水を含む