10月9日 水曜日
手遅れになって 健康を知る
何か 違和感 を 覚える
昨日昼間、カーラジオでニュースを聞いていた。
平成21年、千葉大学4年生の「荻野友花里」さんが(当時21才)、殺害されたニュースが流れた。
犯人は「堅山辰美」52才。
1審は、いわゆる「裁判員裁判」で、・・・・我々一般国民が参加し審議する・・・・死刑が言い渡された。
犯人は、荻野さんの殺害のほか、短期間に強盗致傷や強姦事件などを起こしており、その悪質さも重視したものであった。
ところが、控訴審判決公判が、昨8日、東京高裁で開かれ、・・・・1審判決は覆り、死刑から無期懲役に減刑された。
折角皆(国民参加)で決めた判決を、と言う、幼稚な思いはともかく、
「殺害された被害者が一人で 計画性も無い」
とする説明には、・・・・特に「殺害したのが一人だから」・・・・とする表現には、凄く違和感を覚えた。
・おい 一人だけだと 死刑に ならんからな
改めてこんな感覚を、天下の悪人どもに、流布してしまったのではないのか・・・・。
法曹界では、意味正しい表現であるのだろうが、とても嫌な気分に支配され続けた・・・・。
つづく。
車内で 一口 水を飲みました