8月9日 金曜日
手遅れになって 健康を知る
勿体ない と 健康
日本の「勿体ない モッタイナイ」が、素晴らしい言葉として、世界に発信されて久しい。
(アフリカの女性だったと 記憶する)
確かに素晴らしい言葉、・・・・と言うか、一種の精神論にも繋がる言葉である。
しかし今の日本では、この「勿体ない」の精神は、公私の「私」の方はともかく、私からはねれた「公」の場面になると、まるで影を潜めてしまう。
強欲な精神へと、変身してしまう。
勝俣部長、・・・・「勿体ない」と聞くと、母親を思い出す。
その昔、食べ物が不足していた時代、母は手に入っ少々の食材を、捨てるところが一つも無いように、物の見事に料理し、食べさせてくれた。
差し詰め、勿体ないの神髄である。
ところが私は、ここ10年来、「食べの と 勿体ない」の狭間で迷って来た。
予定通りの量の食事をした後、少々残ったものを、どうするかで迷うのである。
10年前までは、処理する場所は、自分の胃袋と決め込んでいた。
これも一つの「勿体ない」精神だとして、何一つ残す事無く、ホイホイと自分の胃袋に投げ込んでいた。
結果、身長170cmしか無いのに、体重76kgの見事なデブ体を作り上げた、・・・・その要因の一つになったには違い無い。
母の時代と違い、食べ物が溢れる現在、・・・・こと「勿体ない」の精神を、「食」の場面で、間違って発揮すると、健康被害となることもある。
お陰様で今は、捨てるのは勿体ない、
・もう一杯 食べて しまおっと
・面倒だ 全部 食べよう っと
とする精子に打ち勝て、・・・・身長に見合う体重(63kg前後)になった次第である。
勿体ない精神の発揮場所は、時代とともに考えなくては、・・・・ならんかな。
つづく。
猛暑には 水 一つ