8月2日 金曜日
手遅れになって 健康を知る
あの穏やかな日々 蛍の光 アゲイン で 壊れた
勝俣部長、・・・・携帯操作無知により、メールの着信音が「蛍の光」に、セットされてしまった。
同時に、どうゆう訳か、迷惑メールが山ほど届き出した。
と言う事で、山ほど蛍の光が鳴りだし、・・・・蛍の光が恐怖の曲となってしまった。
DOCOMOに行き、パソコン経由の受信を完全に遮断した。
必要以外に蛍の光の鳴らない、実に穏やかな日々となった。
ここまでは、以前報告した。
ところが、パソコンから私に連絡する事を常とする長男は、・・・・これは困るとばかり、先日ファミリーで来たとき、皆で食事をしながら、
・自分のパソコンと
・弟(次男)のパソコン
だけは繋がるように、私の携帯を操作したようだ。
再度「ところが」となるが、・・・・多分、限定着信操作(こう言うのか知らない)が完全で無く、・・・・またもや蛍の光が、昼夜に関係無く成り出してしまった。
私からすると、見るのもおぞましいバカなメールがどんどん・・・・蛍の光がどんどん。
オー 蛍の光 アゲイン
で、あの穏やかな日々は、短期間で終わってしまった。
そこで本日も、蛍の光の難解なる2番の歌詞の解説を、・・・・ヤケになりながら、せめて・・・・。
2番の歌い出だしは、「とまるも 行くも」である。
・とまるは 留まる
・行くは 出て行く
勝俣部長の故郷「山梨の鰍沢」を例にすると、
・卒業して鰍沢にそのまま住む人も、東京に出て行く人も
となる。
「心の はしを ひとことに」
はしは「端」で、沢山の思い出の端々を一言に纏め合わせて、・・・・こんな意味になるだろうか。
こう考えてみれば、「蛍の光」は実に素晴らしい、歌であり曲である。
ただ、どんなに素晴らしくても、山ほど鳴り響いては、・・・・辟易。
昔聞いた名言を思いだした。
もし息子がグレたら、「そうか じゅや 俺は ボケてやる」・・・・親父はこう答えなさいと。
その手で行って、
これ良介(長男の名前)・・・・おりゃ お前のせいで 蛍の光ノイローゼになってやる。
このブログ、読めし・・・・このように「し」で締めるのが山梨の方言・・・・例えば「食えし」、「飲めし」、「行けし」などなど。
誠に変なブログになりました・・・・失礼。
つづく。
やっぱし 頼りになるのは 単なる水です