勝俣部長の健康体質作り・・・・高尾山「健康を体感する」(242)

6月4日 土曜日

                             


(「単なる水」こそ、永遠なるサプリ)
   ガバナビリティー


 勝俣部長は英語が全くダメである。
 なのに今日は、「ガバナビリィー」などとタイトルを付してしまった。
 何故か、・・・・ことの発端は、「民主党」のドタバタ劇にある。
 イヤ、何も民衆党ばかりでは無い。
 ころころと変わった、自民党の総理大臣の動きを見ていたりしたら、何十年も前に読んだ本の一節を思い出したのだ。
 その本に、「ガバナビリティー」なる言葉があった。
 著者は、あの「渡部昇一上智大学名誉教授)」先生だと記憶する。
 「ガバナビリティー」とは、一般的には「統治能力」、あるいは「統治する能力」と訳されるとあった。
 現政権では「菅総理」に、統治能力は有るのか、ダメなのか、と言う事になる。
 ところが渡部先生の解くところによれば、訳が違うのだと言う。
 「統治能力」で無くて、「被・統治能力」、・・・・つまりは「統治する側の能力」では無しに、国民の「統治・さ・れ・る・能力」を言うのだそうである。
 日本人はことの外、この「ガバナビリティー(統治され能力)」が高い国民だと解いている。
 だから菅総理や、前の鳩山総理、自民党時代の短命な各総理大臣に、・・・・例え統治する能力が不足していたとしても、国民の「統治される能力」が高いから、旨く行くのだと言う。
 まあ確かに各国と比べれは、我々日本国民は穏やかも知れない。
 今度の未曾有の大震災でも、暴動など起きないし、治安も平時並だと聞く。
 黙々と復興に向けて、努力する国民の姿が至る所にある。
 さてさて、「ガバナビリティー」なる能力は、何も国政レベルだけの事では無い、・・・・とは、今、私は、改めて思う。
 民間企業における、社員の「管理される能力」が高いからこそ、ダメな管理職者でも務まっているのだ、・・・・とも言えなくも無い。
 その延長線で序(ツイデ)に言うと、カミサンの統治能力が高いように見せかける、日本のサラリーマン族の「ガバナビリティー」は凄い、と、・・・・本当は声高らかにいいたいのであるが、果たして、・・・・。
 平和ボケした日本は、「ヒットラー」の出現を期待する向きもあろうが、案外、「ダメ菅・総理」くらいで、ちょうどいいのかも知れない。
 そうであれば、日々展開される政治屋さんの、組長達の茶番劇を嘆き、悲しむより、ガバナビリティーの高さを誇りつつ、楽しんだ方がいい。
 それにしても民主党さん、・・・・菅さんも、鳩山さんも、そして小澤さんも、・・・・もう少し何とかなりませぬか、・・・・。
 闘魂一発、ファインアクアです。
 つづく。

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