5月2日 月曜日
(「単なる水」が、あなたを救う)・・・・情報と言う「巨大津波」
食べ物の無い時代は、生きる事に必死であった。
餓死者はいても、自殺者などは居なかったに違いない。
食べなきゃ死んじゃうよ(生き続けたい)と言う、明確な意志で、
・コレ、・・・・こうすりゃ食べれるだろう
・アレ、・・・・ああすりゃあ食べれるだろう
と、創意工夫を持たざるを得なかったのである。
それが今は、どうなんだろうか。
自分で自分の意思が、明確に組み立てれる前に、
・あれを食べなさい、これを食べなさい
・これを飲みなさい、あれを飲みなさい
・あそこに行きなさい、ここに行きなさい
・これで可愛くなりますよ、あれが可愛くなりますよ
・こちらの方がお得ですよ、あちらの方がお得ですよ
などと、情報が矢継ぎ早に、且、一方的に飛び込んで来てしまう。
これらの情報が本当に助かるのよねと、・・・・街も村も国も、大歓迎モードで溢れている。
結局、自分が持つ意思(価値基準)は、
・安い ・美味しい ・可愛い ・楽しい ・楽(ラク) ・面白い
などの、「超・単純化」された思考に集約されてしまっている、・・・・そう思えてならない。
果たして、自分の意思で、生きようとしているのか、「生かされているのか」、その判断が難しい。
生きているのか、生かされているのか、・・・・境界線が微妙になってしまったところに、飽食の時代でありながら、自殺者が減らない要因が、あるように思えてならない。
今や、東日本大震災の「津波」並に発達した、情報津波に飲み込まれ無いように、・・・・人真似でない自分作りを考えませんか。
そうしないと、折角この世に生を受けながら、・・・・津波(情報)に押しつぶされた、「ガレキ」の様な一生となってしまいまっせ。
つづく。