勝俣部長の「ため息」2751回・・・・孫より 子供

12月11日 火曜日

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                                   下りケーブルからの「天橋立」 撮:2018.11

 

 

好き勝手に 言いたい放題

 全くの 暴論説

 

 勝俣部長・・・・東京から仙台、仙台から札幌・・・・そして札幌から東京(現住まい)に戻って来たのが、昭和58年1月(1983ネン)。

 長男:小学4年、次男:2年生のとき。

 しばらくしたら、長男が少年野球をやりたい・・・・田舎、山梨の県立巨摩高校の野球部に所属していた勝俣君(詰まり私)・・・・大歓迎とばかし、嫌がる次男も、同時に少年に入れてしまった。

 年間を通じてほぼ毎週の日曜日・・・・下の子が小学校を卒業するまでの5年間、少年野球に明け暮れた。

 大概の子の親は、父親か母親が・・・・我が家のように、両親二人して見守隊として参加した(一応私は専任コーチ)。

 あれから何十年・・・・当時の父親多数に誘われ、今月初めに飲み会で再開した。

 全員が相応に年を刻んでいる。

 話はら・・・・「君」専科。

 その活躍に話題が沸騰する・・・・目に入れても痛くはない・・・・。

 当時の主役(孫の父親)は・・・・いっさら話題として登場しない。

 孫じゃあ無えぇぞ・・・・未だに当時の主役に目を細めている勝俣君・・・・ややもすると、その場に疎外感・・・・。

 「内心男」の勝俣部長・・・・ここでもまた内心が登場・・・・ああそうか、

  ・子供の出来が悪けりゃ いつまでも子の顔を 見続けちゃいらねぇか

  ・その孫に期待するしか ねえぇのけ

 我が子の出来の悪い親ほど・・・・孫を可愛がる・・・・新説である。

 勝俣部長・・・・我が子の可能性に、未だに期待してますから・・・・孫、より子供。

 コレだけ子離れ出来ない親も珍しい・・・・。

   超・大・暴論である・・・・が・・・・チョイ 可は あるかもな・・・・。

 つづく。

 

 

 当時の夏の水 美味かった 美味かった