勝俣部長の「ため息」2018回・・・・稲刈り

12月4日 日曜日



    好き勝手に 言いたい放題
今では 絶対に考えられない


 いつとは正確な記憶はないが・・・・多分、勝俣部長が小学生後半か、中学生の頃だった思う。
  (螻蛄様 様 なら正確に覚えておられるかも・・・・)
 年に2回、「農繁休暇」と言った休みの制度があった。
 田植えの時期に一回、稲刈りの時期に一回・・・・計2度、一回に3日前後だった(と記憶する)。
 休みではあるが、目的のためであるから(田植え、稲刈り)、労働作業そのものが日課となる。
 傑作なのは、勝俣部長のように、稼業が農家でなく、サラリーマン(父親警察官)宅の場合は、どうしたか(どうなったか)である。
 あらゆるツテを見つけて、手伝い先(農家)を探すのである。
 言うならば職安の大昔版である。
 但し、労賃は1円も出ない。
 自宅から、バスで30分から40分ほど掛けて、借家の大家さんの親戚に(地名;山梨県南巨摩郡「飯富」)、何回も手伝いに行った。
 こんな制度と言うか、仕来たりは・・・・今は絶対に無いだろう。
 そんな事をしたら(させたら)、(ハリツケ)の刑になるだろう。
 思えば、いい(有難い)経験をしたものだ。
 手伝い先のオヤジさん・・・・コレまた今思うと、大変な知識人で、稲刈り(田植え)作業以上に、俳句を教え込んでくれた。
 稲一杯の田の稲を刈る。
 刈り取った分だけ、空地が増える。
 すると稲の元に潜んでいた、緑色をした・・・・我々は小便カエルと呼んでいたが・・・・小さなカエルが、大人になった、今の表現としては、突然裸体を見られたように逃げ出す、逃げ回る。
   「稲刈りや 行くところ無き 青カエル」
 上手い・・・・オヤジさん大声を出してくれた。
 またまた今考えたら、オヤジさんの一声が労賃だった・・・・と思える。
 懐かしくて、いい思い出である。
 本日は、超田舎のメルヘン集でした。
 つづく。


 日本は水の国 水田の国