3月26日 月曜日
(「単なる水」こそ、永遠なるサプリ)
「屋さん」 が 消えた
銀座8丁目に、店舗は構えないけれど、欲しい文具を取り揃えてくれる、勝俣部長から見れば、立派な「文具屋」さんがある。
文具屋さんの若きオーナーは、ビルメンテを本業とし、私の子供の年代である。
かっては、彼のオヤジさんが、近くに店舗を持ち、文具屋さんを営んでいた。
今、ボールペン1本欲しいとしたら、何処で買うか。
多分、文具屋さんを思い起こす人は、居ないと思う。
大半の方がコンビニ、もしくは、近場のスーパーを利用するであろう。
そう、・・・・まさに文具屋さんも、時代の波に飲まれ、今は町の何処にも無い。
考えたら昔の町は、「屋さん」の集合体であった。
何処の町に行っても、「何々屋」さんがあった。
魚屋さんがあり、時計屋さんがあり、お米屋さん、蕎麦屋さんがあった。
下駄やさんがあり、傘屋さんがあった。
今、町に「何々屋」さんは無い。
敢えて探すと、床屋さんの類が、呼び名を変えて、存在する程度かも知れない。
代々受け継ぎ、全うして来た稼業の「屋さん」は、消えたのである。
時代は、確かに流れ、その流れは、多くの人達の生き方を変えた。
その流れを、鋭く見抜き、果敢に対応構築する人もいる。
ただ、多くの人は、昨日の続きを、・・・・そう、ぬるま湯に浸かったカエルが、温度が上がりつつあることを感じる事が出来ず、ついには死んでしまう、・・・・そんな風景を、シャッター通りに見る。
シャッター通りは昔、皆「何々屋」さんであった。
時代に乗り遅れるな、と言われても、実に難しい、・・・・。
人って、動物の中で、一番、不思議な生き物に思える。
つづく。