勝俣部長の「ため息」935・・・・年と 共に

6月27日 木曜日

                              



 手遅れになって 健康を知る
病院 待合室 の 風景


 今年4月の、入院・手術を別にして、勝俣部長、・・・・以前から、決めた病院に行き、定期診察を受けている。
 既に10年近くなる。
 何処の病院もそうだが、診察前も後も(支払い時)、かなり待たされる。
 そこで、ついつい、待合室の風景を見渡してしまう。
 まあ、科目により違いはあるのだろうが、
  ・内科とか
  ・関節症関係とか
  ・目や鼻や耳
などの科目は、圧倒的にお年寄りが多い。
 やはり年齢と共に、確実に、あっちこっち悪くなる(劣化)のだろう。
 何才からと線を引くのは不可能であるが、それぞれに、
  ・悪くなった箇所を繕って(直して) 再度 元の一に立つ 年齢
  ・悪くなった箇所は 次第に 死への 準備体制になる 年齢
このが、それぞれにある様に思う。
 何才まで生きられるかに、興味はあるだろうが、死への準備体制が
  ・どのくいらい時間を掛ければ 整うのか
の違いだとも言える。
 そんな見方から言えば、・・・・勝俣部長、既に、死への準備体制に入ってると思う。
 こう思えば、悪化した箇所が、・・・・先頃の手術を含め・・・・100%回復しなけれならない、などと言う、ムリ無理的な思考は、穏やかさを増す。
 仮に全体で、8割が元に戻ったのなら、残りの2割が準備体制の部分、・・・・こうなるのだ。
 こんな素晴らしい考え方は、学校では、絶対に、教えてくんねええよね、・・・・。
 親しか教えてくれなかった、・・・・そう、子に思わせるのも、親の、最後の教育ではなかろうか、・・・・。
 つづく。


 単なる水(作用性の無い)⇒ 無作用性の作用こそ 体の調整機能