勝俣部長の「ため息」936・・・・格差 当然 有るさ

6月28日 金曜日

                             
                                    (西葛西駅前)


  手遅れになって 健康を知る
格差が付く  一つの要因


 格差社会がどうのこうのと、言われ出して既に久しい。
 「小泉元首相・竹中平蔵」コンビが、増幅したとも騒がれた。
 今また、安倍首相により、格差社会が広がりを、見せているなどとも言われている。
 まあ、その辺の事はともかく、勝俣部長、・・・・一つ気になる事がある。
 学生(広く捉えて「小・中・高・大」の全て)の本分は、勉学である。
 この時期は、様々な事を学習する。
 しかも、スベカラク、時間が掛る学習である。
 イヤ 時間を掛ける必要のある学習である。
 例えば語学学習など、英単語一つ覚えるのでも、時間が掛る。
 と、言う事は、・・・・それぞれの人生にあって、大半の人達は、この学生時代にしか、集中的に学習する時間が、持て無いと言うことになる。
 ところがこの時期、
  ・懸命に学習する者
  ・学習はそっちのけで 遊び呆ける者
  ・まあ その中間の者
などなどいる。
 実はこれは、学習に対する、
  ・自らが 自らで生み出す
  ・恨みっこ無しの
  ・物凄い格差である
 頭の善し悪し格差で無く、物事に対する「熱心さ格差」である。
 「三つ子の魂 百までも」では無いけれど、人生のスタート地点の、この格差は大きい。
 「熱心さ格差」はそのまま、生涯を引きづってしまう。
 引きづってしまっても、ちっとも可笑しく無い。
 ところが、
  ・社会が悪い
  ・政治が悪い
  ・保障が貧困
などと、全てを他のセイにしてしまう、など、・・・・私には、分からない。
 人間、何らかの要因で、格差があるものだろうけど、・・・・だから、その格差是正は必要であろうが、・・・・学生時代に遊び呆けた結果の格差はまでは、是正する必要は無い気がしてならない、・・・・。
 少年 老い易く 学 成り難し・・・・古いかなあ
 つづく。


 格差なく 皆に平等な働きを為すのは 単なる水 です