勝俣部長の「ため息」780・・・・永遠の喧騒さが 一瞬 静寂に

1月2日 水曜日

                                         



大切な事(健康)は 手遅れになってから 分かる
  変 な 事  に 楽しみを 持つ


 年に一度の楽しみ、・・・・勝俣部長、誠に可笑しな楽しみがある。
 その楽しみは、今の「13階」に住み始めてからだから、30年間、・・・・回数にして30回続く。
 13階の窓から臨める風景は、当然な事だが、地上とは異なる。
 南に(東京方面)向って、国道17号線が一直線に走る。
 完成した、スカイツリーも見える。
 年間、かなりの交通量を持つ17号線である。
 が、年に一度、元旦の朝は、初日が昇ってもまだ、シーンとして静かである。
 測定した事は無いが、20秒、40秒、・・・・イヤ 1分以上、もしかした2分以上、1台の車も通過しない。
 この、「シーンとして静か」な風景が、たまらなくいい。
 「シーンとして静か」な風景なら、高尾山に行けば、幾らでもある。
 ただそれは、いつでも静かである。
 私が、私の住まいで待つのは、人間の為す業と言うか、行事と言うか、・・・・人間が作り上げた「喧騒」さを、人間の手で「絶つ」、その一瞬さに興味を覚えるのである。
 信号機だけが、バカ正直に、人も車も居ない道路で、正確に働き続ける。
 正確無比のバカ正直さは、年に一度、・・・・人の生活風習で、何の用も、役にも立たない、・・・・がいい。
 今年も、ほぼ完全な形を楽しめた。
 17号線の喧騒さは、一瞬の静寂さ演出した後、「やおら」な速度で復元して行く。
 そして我々も、・・・・信号機に裁かれ、身を守られしながら、・・・・喧騒な街に飛び出す。
 それにしても、年に一度の「」な楽しみ方に、自分でも笑ってしまう、・・・・。
 今年の元旦で、この「新春福笑い」は30回目となった、・・・・。
 つづく。

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