2月22日 水曜日
(「単なる水」こそ、永遠なるサプリ)
昨日の 不可解な3人の死 本日 詳報された
勝俣部長は昨日、家族3人、不可解な死、・・・・失礼ながら、むしろ「呆れかえる死」などと書いた。
その詳細が、本日の新聞に、大きく取り上げられている。
タイトル:都会の盲点
・さいたま3人餓死?
・一円玉数個のみ/国の「通知」生きず
と、小見出し。
更に文面が、
・アパートには食糧は無く
・市への住民登録も無い
・生活保護も申請して無い
・民生委員の見回り対象からも外れる
などと、悲劇的な論調が続き、・・・・更に、昨年1月には、大阪のマンションで60代の姉妹が、札幌では40代の姉妹が、それぞれ遺体で発見された、と続く。
コレも、アレも、国や県や市が悪いと言わんばかりの、論調。
多くの読者は、そう思うのかも知れないが、・・・・私は、今一つ、スンナリしない。
やっぱし、自分で生きようとする原点があってこそ、全ての助けるシステムが生きる、のではなかろうか・・・・。
悲劇性深刻なる報道であるが、何か、素直に胸に入り込んで来ない。
そう思う自分が、「変」なのか、・・・・。
「変」は、そのまま不愉快となり、そのままの、昨日と今日に、なってしまっている。
つづく。