12月3日 土曜日
(「単なる水」こそ、永遠なるサプリ)
思い出の写真(類)って 結 局 何 だ
勝俣部長には、「超・優秀?」な男の子が二人いる(既に独立/家庭持ち)。
東京から仙台(3ネンカン)へ、仙台から北海道札幌(2ネンカン)へ、札幌から今現在の浦和へと、・・・・お陰様で、全ての地において、親子4人、エキサイティングな日々を、楽しむ事が出来た。
しかもその費用は、全て会社持ちであったのだから、我々にとって転勤は、誠に楽しく、天国であった。
その、楽しくて、エキサイティングな何年間を、他人(よそ)様同様、
・写真に
・ビデオに
親としては、それこそ、全身全霊を傾ける形で、収録して来た。
今、私が事務所代わりに使っている、子供達の部屋の棚に、夥(オビタダ)しい数の、収録作品が並ぶ。
中でも、少年野球に夢中だった二人の子を、年がら年中追い求めたビデオは、私がアナンサーまで勤めた作品である。
ところが技術の進歩は、ビデオを捨て去ってしまい、今見たくとも、見る事は出来ない。
ああ、無情。
ところがである、無情さはあるものの、・・・・棚の収録作品は、すべからく、ホコリに塗(マミ)れているのだ。
中には、収録する事のみが夢中で、出来具合はどんなもんかと、一度しか見て無い作品もある。
あのときの夢中さは、一体何だったのだろうか。
子供が小さいときだったからさ、・・・・いや、それは違う。
中学生のときも、高校生の時も、エキサイティングな場面にあっては、ある種の興奮さとともに熱中した。
イヤ、それどころでは無い。
それぞれに所帯を持った今でも、・・・・例えば、講演会の講師を為すときなどの、我が子の姿に、あの少年野球時代の興奮さが蘇(ヨミガエ)る。
が、である、・・・・蘇るのであるが、また時間の流れとともに、「ホコリに塗れ」、棚の量を増やすだけなのだ。
これって、本当に何なんだろうか、・・・・。
自分の子供(ワタシカラミレバマゴ)に夢中になり、収録作品を作っている、我が子達を見ていると、そんな思いが浮かぶ。
技術の進歩は、収録方法を様々に変えるが、作品を残そうとする、親の気持ちは、・・・・それこそ、神代の時代から今現在まで、変わらず連綿と続いているのかも知れない。
親の愛情は ホコリに 塗(マミ)れる事が 前提だ・・・・それで善し/(凡)
つづく。