12月4日 日曜日
(「単なる水」こそ、永遠なるサプリ)
何か 嫌 な 話 である
嫌な話だと言うのは、考えてしまう話だ、と言う意味だ。
昨日の、「産経抄」の記事である。
例の、沖縄防衛局長が、記者との懇親会の場で問題発言をした、経緯が書かれていた。
クビになった局長は、
・10社の記者を居酒屋に集めた
・発言を直接引用しないことを前提にした
・オフレコ懇談である事を、念を押して宴会を始めた
酒もすすんだ局長は、米軍普天間飛行場問題にからめて、
・「(女性を)犯す前に、これから犯しますよ、と言うか」
と暴言を吐いた書かれていて、・・・・更に、懇親会に記者が出席した琉球新報が、翌日の朝刊1面トップで取り上げた、・・・・と書かれている。
多分、本当のところだと思う。
防衛局長を援護する気はさらさらないが、これでは話が違う。
局長が、どんな言い回しをしたかの前に、問うべき事があるだろう、・・・・私はそう考える。
先ずその場(居酒屋)で、なぜ問題だとし、ヤリ合わなっかたのだろう、・・・・。
「局長、その言い方は無いでしょう、・・・・問題でっせ、・・・・問題にしまっせ」
私なら、大変な剣幕で、瞬時に怒りを露(アラ)わにする。
なにせ、オフレコだから、その場の怒りで、収めるしか無い。
それを、新聞の一面で、・・・・とくとくと(そう見えてしまう)言うなど、・・・・局長は、背後からバッサリ切られたに等しい。
そして、日本列島全部が、一斉に非難ごうごうの声を挙げた。
産経抄は、記者の要件は「信義を守る気概」だと書いている。
信義:ウソを言わず、正しい道を守ること
気概:何があっても、やりぬくと言う、強い気持ち
こんな、琉球新報の記者ばかりだとしたら、新聞なんか読みたくは無い。
人間が書いたモノを、人間として読みたいからである。
沖縄問題は、言うまでも無く、大変であり、デリケートな問題である。
が、質は違い過ぎるが、こっちの記者と言うか、新聞社の資質も、同じくらい、問題に思えて仕方が無い。
つづく。