10月26日 水曜日
(単なる水」こそ、永遠なるサプリ)
あの ステータスシンボル は 一体どうなってしまったのだ
タバコ絡みで、もう一つ記して見たい。
勝俣部長が社会人になったのは、1966年(ショウワ41ネン)である。
今現在の経済様相とは、正反対の、「超・高度成長」に向う、前夜祭とも言えた頃である。
以降、毎年毎年、会社で、見事なまでの高成長に酔いしれた。
そんな社会にあって、成功者の一つの証が、タバコのライターにあった。
重役殿は挙(コゾ)って、「ダンヒル」、「カルテェ」、それに「デュポン」もあったと記憶するが、一個「何万円」もするライターを使っていた。
専用の重役室のソファーに、深々と座り、やや体を斜にして、高級なタバコを口に咥(クワ)え、おもむろにダンヒルを取り出す。
ジュボっと、重みのある音と共に、タバコに火を着けたものである。
ライターの蓋を戻すとき、発する音が、また、たまらなくいい。
完全無欠に閉まったとする音が、視覚では無しに、聴覚で認識出来たのである。
「いいものは、いい音がする」
一世を風靡し、世界のプロカメラマンを魅了し続けた、あの「ニコンF」のシャッター音は、今でもはっきり耳に残る。
同じように、ダンヒルライターの蓋の閉まる音も、忘れられない。
永遠に続くのだ、とさえ、信じられた。
あの「ステータスシンボル」の永遠さは、一体、何処でどうなってしまったのだろうか。
今や、どんな成功者でも、使い切りの100円ライターを使う。
イヤ、成功者になればなる程、今の時代、タバコなんかは吸わない、・・・・。
ニコンFはその後、F2、F3などの発展機種を生むが、・・・・今や、フィルムカメラそのもが、デジカメに、主役の座を降ろされてしまった。
あの主役達は皆、・・・・我が耳に残る、「音」の世界にしか無い。
こう考えると、「永遠」なるものなどと、迂闊には言えない。
永遠なるモノなど、無いのだ。
ところがである、何がどんなになろうとも、「絶対的永遠」なるものが、一つだけある。
代替物が何一つ無い、・・・・「単なる水」である。
「水」は、この世の全てのモノを凌駕する、・・・・そう言える。
改めて、「水」の素朴さと、凄さを感じざるを得ない、・・・・永遠なるは、「単なる水」だけである。
つづく。