6月21日 火曜日
(「単なる水」こそ、永遠なるサプリ)
被 曝
福島原発問題以降、「被曝」なる言葉を頻繁に聞くし、目にする。
簡易辞書に、「放射線にさらされること」とある。
まさにズバリである。
この「被曝」について、東電のやりように、よく分からないことがある。
当たり前な事だけど、被災地とか、幼ない子供達に関しては、十分と言えないまでも、それなりに気を使っている節は感じられる。
よく分からないのは、壊れた発電所の現場で作業する人達の、「被曝」に関する注意の仕方である。
基準を超える被曝を作業員に、絶対させてはならぬ、・・・・と言う、その気概が見えないと言うか、伝わって来ない。
平気で、・・・・少なくとも私には「平気」に見えるのであるが、・・・・作業員が相当量被曝していても、テレビの前の東電の解説者は、何とも平然としていて、深刻さが少しも伝わって来ない、・・・・と思うのは、私一人だけだろうか。
被曝に関して、片方では物凄く神経を尖らせながら、片方では、我々素人から見れば、信じられないような量を浴びているにも拘わらず、他人事のような態度に見える。
このアンバランスさに、とても違和感を覚える。
また、作業員が寝泊まりする環境も、ここに来ていくらかよくなっていると、新聞に出ていたが、私なんか最初、あれは現代版「タコ部屋」だと、叫んだりもしてしまった。
作業員は、それぞれに事情が有り、あの厄介な作業に就いているのであろうが、それぞれに家族がいるし家庭がある。
テレビに出てしゃべっている東電や、保安院の人達は、被爆したことがあるのだろうかと、・・・・それも、相当量被曝した事が無ければ、・・・・他人事になって当たり前、・・・・なんかと言う、ついつい、全く余計なことを思ったりしてしまう。
つづく。