上野「寛永寺」一角 撮:2020.10
11月22日 日曜日
折角、生きてるんだから
矢玉の跡の 此処かしこ
我々世代の人なら大抵は知っている。
歌い手「三橋美智也」さん。
曲目「古城」。
その一節にあるのが、古(イニシエ)の戦(イクサ)を描写する「矢玉」の跡・・・・弓矢と鉄砲の跡。
「往時の戦いで お城に残る 弓矢 鉄砲の跡」
・・・・物寂しい歌である。
本日掲載の写真は・・・・まぎれもなく今も残る鉄砲の跡。
場所は東京上野公園、国立博物館正面右手・・・・「東叡山輪王寺門」。
今も残る・・・・上野戦争(戊辰戦争の1つ)時の大砲の跡である。
慶応4年5月15日・・・・1868年、今からたかだか152年前。
もっと言うと・・・・勝俣部長が生まれる、僅かに75年前の7月4日・・・・上野を舞台とした戦(イクサ)。
の戦い。
この門には、ほかにも小さな鉄砲の跡が残る。
上野駅公園口から徒歩7~8分程度。
ほとんど見学者が居ないので・・・・コロナ下にもってこいの場所。
矢玉の跡に・・・・三橋美智也さんを思い出しましょう。
本日は観光案内でした。
つづきます。
コロナには清い水