5月10日 火曜日
好き勝手に 言いたい放題
ドキッと しないか
勝俣部長・・・・本なり、新聞なり、テレビなりで、時折「ドキッ」とする言葉に出会う。
つい先日も、ドキッとさせられた。
今風の若い女の子(高校生くらい)同士の会話、
「親とか 当てにならないし・・・・」
サラリと言ってのける女学生。
この言葉の「とか」を推量して言うと、親とか先生とか、周囲の人とか・・・・になるのでは・・・・。
だとすると、本人はかなり切ない。
先生とか周囲の人とかはともかく・・・・親が当てにならないとなると、親子の在り方が、限り無く変形している。
不幸な状態に思える。
で、ドキッとになるかも・・・・。
一等最後は・・・・最後の最後は・・・・最後の砦は・・・・。
親に話せばなんとかなる・・・・自分を振り返った場合、こんな親子間(感)だったような気がする。
だからこの「ドキッと感」は、親子の在り方として考えさせられる・・・・。
オレオレ詐欺は、騙す側の巧妙さの問題では・・・・100%無い。
ひたすら、親子の在り方である。
周囲がどんなに警戒しても・・・・「親とか 当てにならいし」の親子関係ならば・・・・オレオレ詐欺は、永遠に続くような気がする。
つづく。
水で 健全なる日々を