勝俣部長の「ため息」1845・・・・親子の在り方

5月10日 火曜日

                                                    
                                                       (山梨・鰍沢大法師公園」)



 好き勝手に 言いたい放題
ドキッと しないか


 勝俣部長・・・・本なり、新聞なり、テレビなりで、時折「ドキッ」とする言葉に出会う。
 つい先日も、ドキッとさせられた。
 今風の若い女の子(高校生くらい)同士の会話、
   「親とか 当てにならないし・・・・」
 サラリと言ってのける女学生。
 この言葉の「とか」を推量して言うと、親とか先生とか、周囲の人とか・・・・になるのでは・・・・。
 だとすると、本人はかなり切ない。
 先生とか周囲の人とかはともかく・・・・が当てにならないとなると、親子の在り方が、限り無く変形している。
 不幸な状態に思える。
 で、ドキッとになるかも・・・・。
 一等最後は・・・・最後の最後は・・・・最後の砦は・・・・。
 親に話せばなんとかなる・・・・自分を振り返った場合、こんな親子間(感)だったような気がする。
 だからこの「ドキッと感」は、親子の在り方として考えさせられる・・・・。
 オレオレ詐欺は、騙す側の巧妙さの問題では・・・・100%無い。
 ひたすら、親子のり方である。
 周囲がどんなに警戒しても・・・・「親とか 当てにならいし」の親子関係ならば・・・・オレオレ詐欺は、永遠に続くような気がする。
 つづく。


 水で 健全なる日々を