10月11日 日曜日
好き勝手に 言いたい放題
揉めるも 遥かなり
我々は・・・・当り前の事であるが、どうしても今を生きる。
今を超えて将来に目を据え・・・・そこから今を見る事は、なかなか出来ない。
そこに喜劇があったり、非劇がある。
一番いい例が、子供の(孫の)・・・・場合によってはひ孫の・・・・進路決定である。
今の時代は、「いい」のスタート地点が猛烈に早い・・・・先ず「いい」産院でお産をし、
・いい 幼稚園
・いい中学
・いい高校 大学
そして、
・いい会社へ
多くの親が(お爺ちゃんが、お婆ちゃんが)描き、実際化に向けて子供に、陰に陽にプレッシャーを放つ。
親は思うだけだから、「いい」が簡単に描ける。
ところが子供は、「そうならなければダメ(実際化)」だから・・・・両者のギャップは大きい。
大きければ、大きいほど揉めに揉める。
時は経ち、流れ、遥かなり当時・・・・全ての人が、この「遥かな昔」となる。
あの、闇雲で・・・・何でもかんでも追い求めた「いい」は・・・・あの「いい」は何処へ・・・・。
親子と、あるいは孫との・・・・殺傷害事件さえ起こしたりする・・・・進路に関しての揉め事は・・・・何処へ、何処へ。
その「何処へ」が当時の今・・・・今を通り越し、到達する今に思いが及ぶなら・・・・悲惨な揉め事に発展しなかっただろう・・・・に。
我々凡人の・・・・限界点・・・・だよなあ〜。
つづく。
進路はともかく 起きたら 水です