勝俣部長の「ため息」1656・・・・ギャップ

10月11日 日曜日

                                                    
                                                            (鎌 倉)



  好き勝手に 言いたい放題
揉めるも 遥かなり


 我々は・・・・当り前の事であるが、どうしてもを生きる。
 今を超えて将来に目を据え・・・・そこから今を見る事は、なかなか出来ない。
 そこに喜劇があったり、非劇がある。
 一番いい例が、子供の(孫の)・・・・場合によってはひ孫の・・・・進路決定である。
 今の時代は、「いい」のスタート地点が猛烈に早い・・・・先ず「いい」産院でお産をし、
  ・いい 幼稚園
  ・いい中学
  ・いい高校 大学
 そして、
  ・いい会社へ
 多くの親が(お爺ちゃんが、お婆ちゃんが)描き、実際化に向けて子供に、陰に陽にプレッシャーを放つ。
 親は思うだけだから、「いい」が簡単に描ける。
 ところが子供は、「そうならなければダメ(実際化)」だから・・・・両者のギャップは大きい。
 大きければ、大きいほど揉めに揉める。
 時は経ち、流れ、遥かなり当時・・・・全ての人が、この「遥かな昔」となる。
 あの、闇雲で・・・・何でもかんでも追い求めた「いい」は・・・・あの「いい」は何処へ・・・・。
 親子と、あるいは孫との・・・・殺傷害事件さえ起こしたりする・・・・進路に関しての揉め事は・・・・何処へ、何処へ。
 その「何処へ」が当時の今・・・・今を通り越し、到達する今に思いが及ぶなら・・・・悲惨な揉め事に発展しなかっただろう・・・・に。
 我々凡人の・・・・限界点・・・・だよなあ〜。
 つづく。


 進路はともかく 起きたら 水です