勝俣部長の「ため息」1313・・・・自明の 理

9月8日 月曜日

                                                  
                                                           (川 越)



       好き勝手に 言いたい放題
踏み違い ってな事は 絶対無い


 よく次の様なニュースを聞く。
   「車を止めようとして ブレーキとアクセルを 踏み間違えた」
 つい先日も(5ニチ)、東大阪市のセブンイレブンで、車が店内に突っ込み、アルバイト従業員わ跳ね死亡させてしまった。
 調べに対して79才の運転手は、「ブレーキとアクセルを踏み間違えた」と供述していると言う。
 この種の事故は、大抵が、・・・・確かにお年寄りで、・・・・運動神経も鈍り、踏み間違いもあるかも知れないと、・・・・「妙」に納得してしまう所がある。
 この「妙な納得」が、この非劇を断ち切らさないのだ。
 車を運転する人なら分かるだろうが、若者だろうが年寄りだろうが、普通の人は、絶対に踏み間違いなんかしない。
 そんな事は無い、・・・・そう思うなら、何処か安全な場所に行き、一度踏み間違いの実験をしたらいい。
  (勝俣部長 近くの「秋カ瀬公園)で実験済み)
 踏み間違いするには、普段経験しない、かなり「特異的」な技術が要求されるのだ。
 そんな特異的技術が、咄嗟に出る訳は無い。
 では何故起きるのか、・・・・答えは簡単で、年齢に関係無く「普通の人で無い人」だからである。
 多分、既に「認知症(似た現象)」が、かなり進行しているのだと思う。
 以前、癲癇症の若者が、非劇的な事故を起こしたがある。
 やはり「普通では無い人」の事故である。
 どうだろう、・・・・免許書き換え時に・・・・「ブレーキ・アクセル」踏み間違い実習でも設け、・・・・何とか基準を設定し、その危険度を判定する。
 あるいは、認知度テストを行い、書き換えストップする・・・・など、何か手段を考えなければ、・・・・そう思う。
 勝俣部長、・・・・もし「認知度テスト」で、運転不可と出たら、素直に従う積りである。
 だって、車の持つ便利さがかなり有ろうとも、人様に、非劇的事故を与えてしまうなら、・・・・答えは「自明の理」であろう。
 つづく。


 秋 秋は秋で 水 美味し デスヨ