1月22日 水曜日
(信州小諸「懐古園」)
好き勝手に 言いたい放題
新聞 の 効用
勝俣部長、・・・・一日の始まりは、目覚めたベッドで新聞を、丹念に読む事から始まる。
これが実に楽しい。
もっとも、仕事がせっついている場合、読むのを諦め、車に持参し昼時に読む。
ただ朝一を逃すと、・・・・読む集中力が格段に落ちてしまう。
不思議である。
新聞を読んでいると、様々な事が沸々と沸いて来る・・・・その大半はクダラナイ事ばかりであるが、・・・・それが楽しい。
今朝も4時前から読みだした。
「ああ そうだ 大根をカットして 干さなくては ならん な」
と、突然思いだした。
多分干す場合、新聞紙を2〜3ページに重ね、角型のお盆の下に敷き、カット大根をバラマくことから、連想してしまったのだと思う。
タブレットを読む人に、こんな連想が生まれるのだろうか。
考えたら新聞は、寒けりゃ身を包めばいいし、野菜でも魚でも、何でも包める。
隙間に挟めば寒風を防げる。
鼻の汚れるのと、少々硬いの我慢すりゃ「チリ紙」のもなる。
こんなにも、「後利用」の出来るものは無い。
ニュースを知るだけ、・・・・この一点だけに視点を置いてしまうと、カット大根を干す発想は生まれて来ない。
一事が万事である。
新聞は実にいい。
つづく。
朝の水 実に旨い