勝俣部長の「ため息」1128・・・・後の 利用価値

1月22日 水曜日

                                                
                                                      (信州小諸「懐古園」)



好き勝手に 言いたい放題
 新聞 の 効用



 勝俣部長、・・・・一日の始まりは、目覚めたベッドで新聞を、丹念に読む事から始まる。
 これが実に楽しい。
 もっとも、仕事がせっついている場合、読むのを諦め、車に持参し昼時に読む。
 ただ朝一を逃すと、・・・・読む集中力が格段に落ちてしまう。
 不思議である。
 新聞を読んでいると、様々な事が沸々と沸いて来る・・・・その大半はクダラナイ事ばかりであるが、・・・・それが楽しい。
 今朝も4時前から読みだした。
  「ああ そうだ 大根をカットして 干さなくては ならん な」
 と、突然思いだした。
 多分干す場合、新聞紙を2〜3ページに重ね、角型のお盆の下に敷き、カット大根をバラマくことから、連想してしまったのだと思う。
 タブレットを読む人に、こんな連想が生まれるのだろうか。
 考えたら新聞は、寒けりゃ身を包めばいいし、野菜でも魚でも、何でも包める。
 隙間に挟めば寒風を防げる。
 鼻の汚れるのと、少々硬いの我慢すりゃ「チリ紙」のもなる。
 こんなにも、「後利用」の出来るものは無い。
 ニュースを知るだけ、・・・・この一点だけに視点を置いてしまうと、カット大根を干す発想は生まれて来ない。
 一事が万事である。
 新聞は実にいい。
 つづく。


 朝の水 実に旨い