勝俣部長の「ため息」1120・・・・遠い 風景

1月14日 火曜日

                                             
                                                 (「茶室」/信州「上田城」)



 好き勝手に 言いたい放題
クロス の 張り替え


 勝俣部長、・・・・明確な時間の基準は無いが、リビングのクロスをかなりの頻度で張り替える。
 今回も来週23日〜24日(予備日25日)で行う。
 小学校時代の友人が「内装屋」さんで、練馬区に居る。
 浦和と近い関係で、直近の2回は彼に頼んだ。
 今回もお願いしようと頼んだが、忙しいらしい、・・・・どうやらそれは表向きで、多分、体調が優れ無い模様。
 ただ、こっちの依頼を、
  「勝俣のところは 家族は同居してないし 一人だから 全く汚れてないし 必要無いよ」
と、やんわりと断られた。
 その、「必要無し」を聞いて、・・・・確かに、汚れは少ない、痛みも無い、「必要無し」、・・・・は、張り替えの度に、自分でも感じる。
 葛藤さえ持つのに、じゃあ何で、わざわざ張り替えるのだろうか。
 気分転換。
 これは間違い無くある。
 でも僅かなモノ。
 最初の会社に入社したとき、・・・・営業担当の役員さん(最終的には社長さん)に、よく可愛がられた。
 この役員さんには、子供が居なかった。
 奥さんと二人で、庭の広い一戸建てに住んで居た(渋谷)。
 よく酒を飲みに来いと誘われた。
 当時は、家の大小に拘わらず、必ず「障子」があった。
 そして障子は、小さな子供に、必ず破られる運命にあった。
 大人二人の役員さんの家にも、かなりの枚数の障子があった。
 ところが子供が居ない、・・・・多分、夫婦喧嘩も無かったのだろう、一枚として破けては居ない。
 ただ、薄汚れているだけ。
 破られる事がない、色あせるだけ、・・・・
  ・生活感の無い
  ・生命感の無い
 そんな風景に、一種の「恐ろしさ」を感じたのだ。
 多分深層心理的には、その「恐ろしさ」から逃げる為に、クロスの張り替えをする、・・・・そんな気がして、仕方が無い。
 勝俣部長にとってクロスの張り替えは、・・・・生きて行く上での、必要経費である。
 つづく。


 さあ 水だ