勝俣部長の「ため息」1116・・・・悲しみ 回避策

1月10日 金曜日

                                                 
                                                        (信州「上田城」)



好き勝手に 言いたい放題
全ては 風 化 する


 決して風化させたくは無いが、・・・・結局、全ては風化する・・・・勝俣部長、そう思っている。
 その働きの素晴らしさで、銅像になった人も、・・・・お金に任せて、自らで銅像を建てた人も、何れは風化する。
 銅像の顔が、ハトの糞に塗れるだけ。
 極論すれば、あの「3.11」の大震災さえも、何百年か、何千年かの後には風化する、・・・・そう思いたくは無いが、そう思う。
 家族は何よりも大切である。
 ただその大切さは、生きてる限り、・・・・に於いてである、・・・・勝俣部長、そう思っている。
 母親が52才で他界したとき、私は20才だった。
 この悲しさの鮮烈さは、永久に「悲しさ」のまま残る、・・・・当時、そう思った。
 古希を迎えた今、当時の悲しさは「母物語」として、極めて平穏な形で、心の中に鎮座している。
 やがて、完全に風化するに違い無い。
 こう考えると、
  ・どうにもならない 出来ごと
にぶっつかったら、ジッと我慢して、時間の経過を待てばよい、・・・・と言う事になる。
 勝俣部長だけの、・・・・「悲しみ回避策」だろうか、・・・・。
 自分で作りだした(文章含め)は、・・・「物」は自らが処せ無いのだから、・・・・作りだした人が、処分して消えさる、・・・・生きる原則だと思う。
 つづく。


 水だけが 一切風化せず 不変なり