勝俣部長の「ため息」1043・・・・人は モノでは 無い

10月18日 金曜日

                                               
                                                    (横浜「赤レンガ倉庫」)



手遅れになって 健康を知る
話しに 集 中 出来ない


 人と話しをするときは、相手の目を見て話しなさい、・・・・目を見て聞きなさい。
 とは、昔から言われて来た言葉である。
 確かに、こっちが一生懸命話しをしようとしたとき、相手が、横を向いたり、後ろを向いたり、立ったり座ったりの連続では、・・・・会話が、思うように成立しない。
 バカにされてるように思うし、仕舞いにはイライラとして、黙ってしまう。
 と言う事で、「目を見て話せとは」、誠に的を射(イ)た教育言葉である。
 ところが、・・・・もう、何年も前の事になるだろうか。
 今流行りの、スマホになる前だった、・・・・携帯電話がかなり進化し、携帯パソコン版になり始めた頃だった。
 長男と、新橋の飲み屋で、飲みながら話しているとき、彼の指は終始、画面を操作し、目は終始画面を追った。
 話しかける私の目なんか、見る余裕は無い。
 しばし我慢していたが、余りの無礼さに怒り心頭、・・・・。
 考えたら「こんな風景」、今でもちょくちょく見掛ける。
 携帯公害の最たるところは、視線を合わせない会話風景を、作り上げた事にある。
 大袈裟に言うと、「目を合わせない会話」、・・・・その根底に潜む精神構造は何か、・・・・人を人として扱えない、・・・・「モノ」としか見れない、
  ・だから 失礼感も 無礼感も 何も感じない
礼儀作法の何も無い世界が、あっちこっちに現出する、・・・・している。
 本当は、「人を人として感ずる」精神を、・・・・自分が一番望んでいるのに、・・・・携帯に拉致され、何処かに連れ去られてしまった、・・・・。
 あれ以来長男は、人間として成長したか、・・・・果たして、か、・・・・。
 つづく。


 やっぱり 旨いぞ 「単なる水」は