勝俣部長の「ため息」856・・・・ああ 古希となる 

3月23日 土曜日

                                               
                                                   住まい駐車場の 「さくら」



 手遅れになって 健康を知る
さ く ら  の  威力


 いつになく早く、「さくら」が咲きだした。
 勝俣部長の住む、集合住宅の「さくら」も、人並みに、イヤ 花波に青空に揺れる(写真は昨日撮影)。
 毎年思うのであるが、「さくら」って不思議な花だ。
  ・例えば 何百本 何千本 が 競い合って咲くのは 勿論見事である
 が、
  ・一枝 イヤ たった一輪でも 見事さは失われない
 花を着けたとき、その存在感は極限値を持つ。
 他方、そんな強力な存在感を持ちながら、・・・・花を着ける前も、花を落した後も、・・・・まるでウソのように、存在感を自主に消滅させる。
 ややして、何事も無かったように、葉だけを残し・・・・時間とともに葉も落とし、・・・・来年まで姿を隠す。
 その間、「桜」を思う人は、植木職人さんなど、一部の人を除いて、まず居ないだろう。
 存在すら忘れる。
 桜は、理屈抜きで有無。
 有るか無いかだけ。
 春巡る。
 出番が来る。
   「花 着けて 始めて分かる 桜 かな(凡)」
 せめて年一回、桜と同じように「花を着けよう」、・・・・そう念じて来た。
 着けぬまま、我、遂に古希となる、・・・・せめて、一杯煽るか、・・・・あああ、あ。
 つづく。

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