5月23日 水曜日
(「単なる水」こそ、永遠なるサプリ)
B 層 文 化
恥ずかしながら、「B層文化」なる言葉が存在することを、5月4日の新聞で、始めて知った。
一文を寄せた、「適菜収(テキナオサム)」さんと言う哲学者さんも、始めて知った。
なぜ、恥ずかしながらか、・・・・この言葉、実は、7年も前の平成17年、郵政選挙の際に、内閣府から依頼された、広告会社が作った概念だそうだ。
・マスメディアに踊らされ易い知的弱者
・ひては、近代的諸価値を盲信する層
を指すとある。
更にこう続く。
たとえばポップスなら、音楽そのものよりも、歌い手の容姿や生い立ち、持病、スカートの丈の短さなどが重視される。
尚も適菜さんは、B層文化にいる人達を、
・真っ当な価値判断が出来ない層
・圧倒的な自信な下に、自分達の価値観を社会に押しつける層
・無知であることに恥じらいを持た無い層
・素人である事に誇りを持つ層
・ありとあらいるプロの領域、職人の領域を浸食する層
しまいには、素人が社会を導こうとするだろう。
こう解説されると、7年前よりも、今の今の方が、遥かに納得し易いでは無いか。
と言う事は、B層文化圏は、いよいよ拡大してきていると言うことか、・・・・。
作詞家「故・阿久悠」さんは、多分、ここで言う「B層文化」なる人々を、「斜めに立ってる人々」
と言ったような記憶がある。
何れも、「恥」と言う自己規制を持たない、持てない人達、と、・・・・一昨日と、昨日、本ブログに書いた勝俣部長の言いたいことが、実はそうなのだ、と言ってしまうのは、・・・・私自身が、紛れも無く、「B層文化」、「斜めに立つ」、そして、「恥と言う自己規制」を持たない人、・・・・その張本人になるではないか、・・・・。
あああ、・・・・「水」を飲んで、一息着こう、・・・・ああ、あ。
つづく。