5月15日 火曜日
(「単なる水」こそ、永遠なるサプリ)
添 削
添削:他人の詩や文章、または模擬試験の答案などをなおすこと(三省堂「国語辞典」)
昨日、A−4版で230ページにも及ぶ、添削作業が飛び込んで来た。
しかも今週金曜日には、出版元と、最終的な打ち合わせに入ると言う、急な作業である。
突如、拷問に掛けられたようなものである。
まあ、それはそれとして、文章などの添削作業は、書き上げた本人が、最も適任者であるが、最も不適任者でもある。
書き上げた本人は、真っ白な紙面に書き出すときは、その人なりの威力を発揮するが、一度書いたものを、見直す場合、誤りの箇所を、
・飲み込んでしまう
と言うか、
・なぞって
しまうのだ。
その点、他人の目は、書き上げた本人に、感情移入すること無く、容赦無い目で、見事に誤字脱字を発見し、表現の不自然さを見抜く。
だから添削は、どうしても他人の目が、必要となる。
ただ勝俣部長、・・・・今の時代には、添削作業者としては、50点も付けられ無い。
パソコンの画面上での添削が、全く出来ないからである。
画面を見ていても、虚ろ、精神が入らない、どうでもいいや、ヤケッパチ・・・・詰りは、全く用を為さ無いのだ。
そこで今回も、230ページもの枚数を、全てプリントアウトしなければ、添削作業が始まらない。
事左様(コトサヨウ)に・・・・横書きの場合は事上様(コトジョウヨウニ))・・・・ITの落後者は不経済であり、時間を無駄に使う。
何故、画面では添削が出来ないのか、不思議である。
前にも、この事に言及した事があるが、未だに、よく分からない。
・IT機器の慣れ、不慣れさか
・年代差の問題か
・単に能力の問題か
どなたか、この点の意見をお持ちでしたら、何でもいいから、お寄せ戴けませんか。
(オーイ 弟子よ 意見を おくれ)
最後に、巧妙ないい訳をする。
勝俣部長、ブログの文書は、甚だ稚拙だ。
誤字脱字も多い。
読む程で無い文体に陥る。
などなどの、悪い部分の全ては、パソコン画面での添削が出来ないからである。
詰りは、ぶっつけ本番で書き、そのまま公開、・・・・一度、プリントして、添削すれば、見違えるような文章になるんだから、・・・・。
それにしても、画面と紙面の添削の違い、誠に不思議である、・・・・。
つづく。