勝俣部長の「高尾登山と健康体質作り」472・・・・村社会

2月5日 日曜日

                             



     (「単なる水」こそ、永遠なるサプリ)
何はさて置いても 向こう三軒両隣 (ムコウサンゲン リョウドナリ)


 向こう三軒両隣、・・・・都会では「死語」の感がる言葉になった。
 ではあるが、災害時の対応として、自分が住むエリア(家庭)においては、最も必要な単位である。
 町が、市が、県が、国が、・・・・
   「何か やって くれるに 違い無い」
などと、思っていてはダメ。
 災害後、相当に長い間の対応は、自分自身、・・・・次の対応が、「向こう三件両隣」、・・・・でしか有り得ない。
 自分のご亭主様だって、仕事先に出ていれば、全くダメ。
 救急車だってダメ。
 警察だってダメ。
 何もかもが、全くダメ。
 防災、防災と、盛んに言うが、
  ・食糧を備蓄しろ
  ・水を備蓄しろ
などと、騒ぎ立てるが、「向こう三軒両隣」・・・・マンションなら、それに準ずる単位との、・・・・双方向協力を前提とする、共同戦線を図ろうとは、耳にしない。
 災害時の初期対応は、今流行りの、「IT的ロボット」など、全くダメ。
 備蓄品が有っても、動けなければ、無いと同じ。
 隣人の、「手、目、足、耳、舌」無くして、災害対応は不可能。
 そしてその、隣人の「手、目、足、耳、舌」の開発は、他人の誰か、で無くて、自分自身
 ともすれば、皆が嫌がる、「村社会」が必要なのだ、・・・・、・・・・。
 肝に命ずべきとは、この為の言葉である。
 つづく。

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