2月5日 日曜日
(「単なる水」こそ、永遠なるサプリ)
何はさて置いても 向こう三軒両隣 (ムコウサンゲン リョウドナリ)
向こう三軒両隣、・・・・都会では「死語」の感がる言葉になった。
ではあるが、災害時の対応として、自分が住むエリア(家庭)においては、最も必要な単位である。
町が、市が、県が、国が、・・・・
「何か やって くれるに 違い無い」
などと、思っていてはダメ。
災害後、相当に長い間の対応は、自分自身、・・・・次の対応が、「向こう三件両隣」、・・・・でしか有り得ない。
自分のご亭主様だって、仕事先に出ていれば、全くダメ。
救急車だってダメ。
警察だってダメ。
何もかもが、全くダメ。
防災、防災と、盛んに言うが、
・食糧を備蓄しろ
・水を備蓄しろ
などと、騒ぎ立てるが、「向こう三軒両隣」・・・・マンションなら、それに準ずる単位との、・・・・双方向協力を前提とする、共同戦線を図ろうとは、耳にしない。
災害時の初期対応は、今流行りの、「IT的ロボット」など、全くダメ。
備蓄品が有っても、動けなければ、無いと同じ。
隣人の、「手、目、足、耳、舌」無くして、災害対応は不可能。
そしてその、隣人の「手、目、足、耳、舌」の開発は、他人の誰か、で無くて、自分自身。
ともすれば、皆が嫌がる、「村社会」が必要なのだ、・・・・が、・・・・。
肝に命ずべきとは、この為の言葉である。
つづく。