勝俣部長の「高尾登山と健康体質作り」423・・・・感じ出す五感

12月17日 土曜日

                        



       (「単なる水」こそ、永遠なるサプリ)
事象 を 感じるって 感 性 と 年 令 なんだ


 ここに来て、長男のブログ(ツイッター)には、季節感の事が、幾分か登場し出した。
 僅か、一二行だが、落ち葉が綺麗だとか、夜明けがいいなどの、表現が乗る。
 そんな事には、全く関心が無いヤツ、・・・・と、勝手に決めつけていたから、少々驚いている。
 まあ、何はともあれ、折角、この世に生を受けたのだから、私は、素晴らし事だと思う。
 パソコンの場合、その搭載機能の、・・・・多分、勝俣部長の場合は、1パーセントも、使い切っていない。
 血が流れない(死なないと同意語)、パソコンの場合は、それでもいい。
 が、人間に置き換えた場合、持ってる「感受機能」の、1パーセント程度の使用では、余りにも寂しい。
 事象に対する、「感受感覚」の芽生とでも、言えばいいのか、・・・・そんな、情緒的な思考は、どんな具合に生れて来るのだろうか。
 考えたら、小さな子供に、今年の秋は綺麗だの、「枯れすすき」が物憂(モノウ)いなどと、言われたら、・・・・相当に「変」だ。
 と、言う事は、ある程度の年令が、そうさせるような気がしてならない。
 長男は、そろそろ40才になる。
 「感受感覚」発生の、一つの目安は、「男の厄年」前後かも知れない。
 親の役目は、遥か遠くに位置して(ゼッタイニ チカヅカ ナイ)、・・・・我が子の、事象に対する「感性の芽生え」まで、見届ける必要がある、気がしてならない。
 何故か
 還暦を迎える頃になっても、パソコン画面とニラメッコばかりの、人間集団が形成されたなら、
  ・血液不要の
  ・小器用に動く
  ・人に類似の
機械社会の出現になる。
 わあ〜を、・・・・ぞっとする。
 水を飲もう。
 ええ、・・・・ロボットって、ノドが乾いたから「水をおくれ」と、・・・・果たして、言うのだろうか、・・・・。
 つづく。

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