勝俣部長の「ため息」1735・・・・残念な 話し

1月6日 水曜日

                                                   
                                                         (草加松原)



   好き勝手に 言いたい放題
アレ は 何だった のだ


 小さい頃の記憶として、今でも鮮明に残る。
 我が父親(明治38年生)の「思考と実践」の記憶である。
 いつからとは明確に言えないが、味の素なる調味料が出回った。
 (多分)たちまちの内に、全国津々浦々に広がったに違い無い。
 頭が良くなるとの「口コミ津波」と共に広がったから、タマラナイ。
 その衝撃波に・・・・トンデモナイ田舎で生活していた我が父親も、イチコロ。
 毎度の食卓で・・・・例えば漬物が真っ白になるほど、振り掛け出した。
 味噌汁に入れ、醤油の小皿に入れ・・・・何でもかんでも味の素、味の素の大合唱。
 これほどまで見事に、全国民を洗脳した(ブツ)があるだろうか・・・・。
 以来何十年・・・・多くの日本人は「味の素神話」と共に歩んで来た。
 ちなみに勝俣部長・・・・かなり早めに親の仕来たりに背いて、化学調味料の類は皆無・・・・毛嫌い。
 ただ背かずに、どんどん使って居れば・・・・もう少し頭が良くなったに違い無い。
 怖い話しであり・・・・残念な事件である。
 つづく。


 永遠の調味料 自然水