勝俣部長の「ため息」1022・・・・人間って 進化せずに 退化する

9月23日 月曜日 秋分の日

                                             
                                                   (東京「日本橋」)



    手遅れになって 健康を知る
文字伝達  と  映像伝達


 勝俣部長、・・・・テレビの大半は録画で見る。
 昨日、録画しておいた一作、宮部みゆき原作「淋しい狩人」を見た。
 現在社会を、人間を放棄した「傍観者的社会」とし、その傍観者を次々に殺して行く、ミステリアスなストーリーである。
 ここで言う傍観者とは、・・・・目の前に起きた惨状に対して(例えば殺人現場、交通事故)、決して手を差し伸べ無い。
 スマホなどで笑いながら、面白がりながら、・・・・ただ、その惨状を撮り続ける傍観者。
 確かに今では、何処にも在りそうな現象、・・・・そんな思いを持った。
 昔から、報道機関の記者に対して、悲惨な場面に遭遇したら、現場写真より、「先ず助けろよ」、・・・・こんな、ある意味悩ましい問題が、存在し続ける。
 スマホ類の出現によって、「撮影と送信(報道)」の参加資格を、、全員が持ってしまった気がする。
 先日の竜巻災害の映像報道は、現場で遭遇しかけた、素人さんの手によるものである。
 確かに現場映像には、迫力を感じる、が、・・・・同時に、迫力画像の下には、絶する悲惨さがある。
 多分、・・・・今後発生する様々な、特に悲惨な事象は、必ず誰かが映像として残す、・・・・と言うことは、
  ・君の為す事は 映像撮影じゃ無い
  ・先ず助けろよ 
の課題を、国民全部が、既に背負ってしまったのかも知れない。
 文字伝達の場合は、手を差しのべながら(助けながら)も、後で報道文も書けよう。
 詰り、自分の頭の中の撮影マシーンを稼働させればいい。
 ところが、スマホなどの器具を借りての撮影は、・・・・手を差し伸べるどころか、常に傍観的一定の距離が必要となる。
 ますます映像化するだろう、
  ・貴女の娘さんが強姦されようが
  ・彼方の息子さんが 死ぬほどの暴力を受けようが
 スマホ的・非人間的マシーンは
  ・その現場を 笑いながら 楽しみながら 撮影する
  ・その画像を 得意満面で 伝達する
  ・見る方も ワアー 凄い迫力と 画面を楽しむ
 ある意味、物凄い時代になっちまった、・・・・のかも知れない、・・・・な。
 つづく。


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