8月5日 月曜日
(JR「深谷」駅)
手遅れになって 健康を知る
海底の潜水艦に 残されたもの
昨日の産経新聞、・・・・「世界の感動を呼んだ悲劇、海底の潜水艦に残されたもの」、なる記事が紹介された。
神戸川崎造船所で建設された、国産第一号の潜水艦「6号艇」の悲劇である。
故障連続の6号艇は、誰も乗組員になりたく無いなか、佐久間勉艇長以下、13名が乗り組み、訓練をしながら、艇の欠陥を直して行く予定であった。
明治38年の出来ごとである。
ところが残念ながら、艇は沈没、・・・・と言うか、再び海上に浮かびあがらなかったのだ。
当時の世界では、珍しくは無い、極めて当たり前な事故的事故である。
ただ、世界の潜水艦事故にあって、際立つ感動は、その殉死の様子である。
潜水艦事故の場合、艇を引きあげて見ると、乗員同士が脱出の先頭を急ぐあまり、殴り合いした形跡があったと言う。
ところが6号艇の場合、佐久間艇長以下の全員が、持ち場を離れず、最後まで浮上する努力をしながら、息絶えていたと言う。
佐久間艇長は、息苦しくなって行く中、
「小官ノ 不注意ニヨリ 艇ヲ沈メ 部下ヲ死ナセタ事ヲ 詫ビル」
更に艇長は、
・艇員一同が最後まで職を守り 沈着に処しこと
・今回の誤りが 潜水艦の発展に打撃を 与えてしまう事を 憂うること
この後、事故のいきさつや、考えられる原因などを、丹念に記していたと言う。
翻って勝俣部長、・・・・自分だったらと、考えてしまう。
ただ、ただ、うろたえるだけ、・・・・こんな結論が直ぐ出てしまう。
全く情け無い。
昔の武人(モノノフ)には、凄い人がいる。
多分、靖国に眠る人には、佐久間艇長と比類なき行動を取った人が、相当数いるであろう。
8月15日、せめて今年も、靖国神社に参拝致したし、・・・・。
つづく。