勝俣部長の「ため息」912・・・・変な 理屈

5月31日 金曜日

                              



手遅れになって 健康を知る
   や は り  水


 先月24日から5月5日まで、15年振りに入院した。
 15年前の入院は、右膝「半月板」の摘出手術であった。
 その折は、ちょうど「宝水社」に厄介になり始め、水を体で感じようとした矢先であった。
 退院後、その「水」の追求の甲斐あって、・・・・そう決めつけていいる、・・・・この15年間、病んだ事は、唯の一度も無い。
 そう、一度も病まない事が、・・・・そう、今まで、病まない事が「健康」だと、・・・・そう決め込んでいた。
 ところが今回入院して、改めて気が付いたのであるが、図らずも「病み」、入院、手術、加療をしなければならなくなったとき、・・・・変な言い方だが、病まないでいるときより、尚健康体であるべきだ、・・・・と言うことである。
 詰り、何を言いたいかであるが、・・・・
  ・「病む」事は 健康体でも 非健康体でも 病むのだ
  ・病むとき 運悪く 非健康体で あったなら 始末が悪い
  ・だから 願わくば 健康体のまま 病むべきである
  ・大病であればあるほど 健康体で 病むべきである
 と、言う事は、病まないから健康、病むから非健康とせず、「真の健康体」とは何か、・・・・追求するべきは、ここにある。
 答え簡単、・・・・飲むなら「水」の、生活実践である。
 15年間続けた勝俣君、・・・・病まないときも健康、病んだときも(今回)健康、・・・・。
 そう言うことである。
 だって、そうでもしない限り、予定の2週間も前に、退院なんか、有り得なかったもんな、・・・・。
 貴重な・・・・入院体験記でありまっせ、・・・・。
 つづく。

 やっぱし 飲むなら 水だ