3月13日 日曜日
(「単なる水」こそ、永遠なるサプリ)・・・・ああ、多賀城市
勝俣部長は、昭和53年(1978年)から2年半、転勤で「多賀城市」に住んでいた。
もう、30年以上も前のことである。
以来、親しくさせて戴いてる家主さんの奥さんから、昨年暮れ、旦那さんが逝去された事を聞いた。
30年の時間の流れである。
左上地図、「多賀城市」を見ると、全てに懐かしい。
当時、大阪方面へは、仙台空港から「YS機」が飛んでいた。
100人足らずの乗客を乗せ、プロペラ機は遊覧飛行宜しく、ノンビリと大阪に向った。
仕事の出張の外、カミさんが大阪の出身なため、事ある度に「仙台空港」を利用した(右上地図)。
今回の津波で「多賀城市も仙台空港」も、一瞬にして原型を留めない、悲惨で、絶望的な姿を見る事に、なってしまった。
銘酒「浦霞(うらがすみ)」や「一の蔵」、・・・・仕事でよく訪問した、・・・・どうなってのだろうか。
大阪、伊丹空港への着陸は、民家の屋根がひしめく上を下りるが、仙台空港は、静かな海岸線からの着陸である。
あの静かな海が、想像を絶する猛威を奮うなんて、・・・・。
「単なる水」、「単なる水」といい続けて13年。
普段は余り有る「単なる水」が、災害「外」地区の東京で、昨日、一瞬の間に無くなったと聞いた。
備えの心を、平常時に持つ事は、難しい証明か・・・・。
自然はその虚を突く。
古くからの、自然の習いであるのだが、・・・・。
つづく。